これって本当?〜後の祭にご用心

ネット民という言葉は、従来のメディア、特にテレビや新聞という、通称オールドメディアの対極にいる人たちを表す言葉のように思っていましたが、本当にそうなんでしょうか。
 

前々から、これって本当?と思っていた記事を見ました。7年前、東日本大震災が起こった日である3月11日の新聞テレビ欄(通称:ラテ欄)を見た人がツイッターに書き込んだのがきっかけのようです。NHKの午前11時の番組欄の番組説明文の一番左の行をタテに読むと、「あの日をわすれないよ」または「東北が大好き!』と読めることに、感銘したという声がネット上、またはツイッター上にあふれているという内容でした。

ー「あの日をわすれないよ」3月11日、NHKのTV欄「タテ読み」に反響 #ldnews http://news.livedoor.com/article/detail/14417729/

この記事の一番引っかかるところは、新聞のテレビ欄とネット上で反響という、もしかしたら最も距離が遠いと思われるようなヒトモノの邂逅が本当にあるのかしらという点です。だって、新聞のテレビ欄を見るネット民って、昨今語られているテレビを見ないネット民、新聞を読まないネット民という像から乖離している姿です。何のために新聞のラテ欄を見るの?感涙したのは、どんな年齢層?男?女?オールドメディアに触れるネット民?今まで認知されていなかった新しいプロファイルではないかと思います。この層に向けたターゲティング広告の有効性を検討すべきです(!?)
(まぁ、昨今の2ちゃんねるの没落ぶりを見ながら、「ネット民」というのも死語に近いのかなとも思いますが。)

YouTuberに憧れ、「フリースタイルダンジョン」を毎週欠かさず録画して見ている厨二の豚児が、小学校高学年の時、突然、「スゲえ便利なモノがある」ことを知ったと言っていたので、それは何かと訊ねたら、「新聞の一番最後の頁に、今日はどんなテレビ(番組)をやってるかわかる表がある!」だって。でも彼は今、全く新聞を見ません。読みません、じゃありません。見ません。僕も新聞を取っていますが、まず読まない。デジタル版は読むけど。そう、ふとした時に、デジタル版にラテ欄が無いので、不便だなと思います。 

フリースタイルダンジョン ORIGINAL SOUND TRACK VOL.2

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この「ラテ欄縦読みに感銘。ネット上で話題」という趣旨の記事、たまに出るのですが、これって意味あるのかなぁ。ラテ欄は、使える文字や記号に制限があり、書き込みには慣れが必要です。縦読みを成立させるように書くのは、一種の職人技です。でも編成マンと言われる人たちの自己満足だとは言わないけど、どちらかと言うと、そこに力を入れるより、EPGをもっと充実させて欲しいなぁ。今だに、ちゃんとした内容を入れてない番組があるからね。年に何度かのラテ欄縦読みの工夫が、NHK(の受信料)にとって、得になるのか。朝、新聞を読まない人が多い中で、縦読みによって視聴者が増えることは残念ながら、無いでしょう。どうなんだろう。
しかし、それにも増して、新聞ってどうなっていくんでしょうか。朝の通勤電車で新聞を読んでいる人の姿、めっきり見なくなりましたよね。僕にとって謎のジャンルの印刷物、スポーツ新聞もしかり。もちろんまだまだ新聞の記事に威力はあります。新聞記者たちのスキルは馬鹿にできません。でも電車内のほとんどの人の手にあるのはスマホ
 

スマホは人から間(ま)を奪うとか、ゲームばかりに熱中してバカになる(超、大雑把な意見)とか、言う方がいますが、そうとも言えないでしょう。本や新聞が売れなくなった原因、または印刷された新聞や本を読まなくなった原因がスマホの普及だけではないはずです。知ること、知識を持つこと、またその努力をすることが軽視されるようになったことが問題なのです。
僕にとってのスマートフォンは、何かについて疑問を持った時にすぐに調べることができる便利な道具、辞書や百科事典の代わりであり、本でもあります。
Kindleなどの電子図書として本を携帯することが可能になったのは、大変にありがたいことです。荷物も軽くなるし、読後に家のスペースを圧迫することも無い。
なにせ国土の狭い日本です。そこに、これだけ多くの人が暮らしていると、自ずと一人当たりが使える面積、容積が限られてきます。満員電車はその例の一つです。狭い電車内で、より有効に時間を使うための道具としてのスマホはかなりの価値があります。
本に限れば、図書館で用が足りるという人もいるかとは思いますが、これだけ本が売れない時代に、図書館の役割、置くべき本についても意見があります。例えば、発売直後の文庫本は置かないで欲しい、買って欲しいという、痛切な願いが出版社、著者たちの中にあります。社会の中の共有サービスの概念も変わりつつあるのです。
世の中には、お金がかからないようにすることが何か問題があるのか、という人もいます。どちらかと言うと、増えてますよね、こういう人。でも、知的生産物ですよ、本は。こういう人は、漫画週刊誌などを発売と同時に無料、勝手公開しているサイトはお金のない青少年のために有用だと言っちゃたりする人です。対価は必要なのです。自分の都合で、対価を無視する人は、それを使わない(=読まない)でよろしいかと思いますが、いかがでしょうか。対価を無視してコンテンツを使うことは、盗むことと同じです。

そう、対価も無く「ネット上で話題」になったりすると、得したような気持ちになりますが、「ネット上で話題」になり、売上やなんらかの成果に結びつくのは、タイミングが肝要です。実は一番、買って欲しい、見て欲しい時に、接触してもらえないことが多いからです。事後、そう、後の祭り。
毎度乱暴な意見ですが、ラテ欄縦読みに感銘する人は実はそのコンテンツ(この場合は番組)に接触しない人で、ネット時代ならでは「後の祭(り)」層(筆者の造語ですよ)なのではないでしょうか。多いんだな、この層は。
「後の祭(り)」という言葉を辞書で調べると、「時機遅れで、無駄なこと。手遅れ。」とあります。1952年発売の美空ひばりさんの「お祭りマンボ」(作詞・作曲・原六朗)の歌詞とメロディ、沁みます。
後の祭りに一喜一憂するのはやめましょう。