これって本当?〜ダメな時代として記憶される平成

東日本大震災から7年。まだサラリーマンだった2011年3月11日。その日以降の二度と経験したくない日々を思い出しました。また最近はちょうど、平成の終わりという時代の切れ目が近くなったこともあり、平成を総括する動きが出てきています。そんな、平成をテーマにしたり、今の日本について書かれたブログや最近読んだ本からの連想と、その中の共感した言葉、共感出来なかった言葉を書かせていただきます。

フランス現代思想が専門の哲学者・内田樹先生が、平成の30年を総括する寄稿依頼を元に書かれた文章です。実は、正直まったく共感できない内容でした。『1989年からの30年間は日本にとって「落ち目」の日々だった』って、そんな時代に生まれたり、働き出したりした人はどうしたらいいのでしょうか。

ー平成が終わる(2) (内田樹の研究室)http://blog.tatsuru.com/2018/03/07_0637.php

(前略)1970年代まで現役だった戦中派ビジネスマンたちには「アメリカと経済戦争をしている」という自覚は無意識に共有されていたはずである。この対米ルサンチマンは、バブル期に広く人口に膾炙した「日本の地価の合計でアメリカが二つ買える」という言葉にもはっきりと反響していた。

とされているのですが、「1970年代まで現役だった戦中派ビジネスマン」の自覚がなぜバブル期、つまり1980年代半ばに(当時のビジネスマンに)どうやって反響したのでしょうか。そして、次のようにも書いていらっしゃいます。

バブルの崩壊は日本人にさまざまな傷を残したけれど、誰も口にしない最も深い傷は「国家主権を金で買い戻す」という一場の夢がかき消えた失望がもたらしたものだったと私は思う。

誰がそんなことを考えていたのでしょうか。そういう人がいたかもしれないことは誰も否定できないと思いますが。でも太平洋戦争だって、アメリカと日本の国力と冷静に比較して、その差を考えていない人たちが国をリードしたから、勝てない戦争に深入りしていったのですよね。ハッキリ言って、そんな浅知恵の人たち再び、ということなのでしょうか。社会の中で物事を決める立場の人たちが、そんな程度だったら、やっぱり負けますよね。妄想に生きる人は現実を把握してないでしょう。

日本が「落ち目」になったのは個人の努力と国力の向上を結びつける回路が失われてしまったからである。

これを国民全員の合意として、なぜそうなったのか、回復できるのか、「自由闊達議論』(この言葉の意味がよくわからないんです。)が始まらないと、「この転落に歯止めはない。」とのことですが、これはどういう意味なのでしょう。現実的にどうやったらいいのか、誰にもわかるよう説明して欲しいものです。

山口組系の組長さんで、経済系のフロントをお勤めだった方で、現在、経済に関する評論をお書きの猫組長さんという方がいらっしゃいます。週間SPAの連載は毎週必ず、最初に読ませていただいています。ちょうど最近、「アンダー・プロトコル 政財暴一体で600億円稼いだ男の錬金哲学」が出版されました。いろいろ、共感できる本でした。

もう一冊、バブルの頃を描いた記述がある本。僕はリクルートと全く関係ないのですが、いわゆる「江副本」が出ると、必ず買ってしまうのです。

江副浩正

江副浩正

 

体裁も含めて、面白い本です。でも、少なくとも僕には、江副さんが『「国家主権を金で買い戻す」という一場の夢』を見ていたようには思えませんでした。

 

そこで今度はこのブログです。とても共感できたのです。投資家の山本一郎さんのブログ、文春オンラインの3月8日の記事です。

ー若者には、いまの年寄りの人生アドバイスが役に立たない理由 #山本一郎 http://bunshun.jp/articles/-/6462

全く、仰る通りです。

「むしろ、経済が縮小していく中で、何よりも人が大事だという社会になっていくプロセスにあるなか、若い人に我慢をしなさいというアドバイスをすること自体がどれほどの意味を持つのか、よく考えるべきだと思うんですよね。」

『実利の見えない、あやふやに「頑張れば、いつかは報われる」というアドバイスは、若い人たちにとって役に立たないばかりか、貴重な若い時分を捨てさせる有害無益なものになってしまっている』

そしてさらに、東洋経済オンラインの3月9日の以下の記事につながりました。

ー高品質・低価格という「犯罪」が日本を滅ぼす アトキンソン氏「労働者の地獄を放置するな」 | 国内経済 - 東洋経済オンライン http://toyokeizai.net/articles/-/211297

僕も揚げ足取りのような事を書いていますが、やっぱり「失われた20年」は、みんなが互いに揚げ足とりをしながら来た20年であり、絶対悪と絶対善があると信じ込んで、それ以外を許さないとしてきた、狭量で不寛容な時代だったと思います。


夏になると、1985年に起きた日本航空123便の墜落事故の真相と称する本が今でもたくさん出版されます。その中に決まってあるのが、「NHKが本当の墜落場所を隠して報道したので救助が遅れた。何かを隠したい政府に協力したのだ」という類の、NHK悪の組織論です。実際は、123便が消息を立ったという情報が入った直後から、複数のクルーが東京を発ち、現地で情報収集しながら、墜落場所を探していたのですが、なかなかたどり着けなかったのです。

東日本大震災の時も、大津波が陸地を駆け上ってくる様を捉えた、あの衝撃的かつ世界で初めての映像をヘリコプターから中継できたのは、地震発生を前もって知っていたからだという説を唱えていた人が結構いました。

でもNHKの内部を知っている人からすれば、報道の現場は、それこそアルバイトの学生から始まって大勢の人間が関わっているので、万が一、上層部が密室で「この方向に報道すべし」なんて決めて大号令を発しても、それを現場に強いることは難しいということが分かっています。もしそんなことが実際に起きていたら、そのことについて、20年以上、たくさんの人間が黙っているなんてことは出来ないでしょう。
だから、情報統制をするような特殊法人はいらない、だいたい給料が高過ぎ(ちょっと人が多すぎなので、実際に大して仕事してない人も結構いると思いますが)だとか、問題(=犯罪)を犯す職員の率が他の企業より高いなどの根拠の無い中傷などによって、さらに嫌われ、いじめられると、組織が萎縮してしまいます。そして「挑戦」より「管理」が優先される組織になってしまうという、悪循環に入ってしまっています。社会的なイジメは、やっぱり会社に働く人たちの力を削ぎます。

ここで、その通り!と思ったのが、この本を紹介する記事。今のNHKはどこまで当てはまるのでしょうか。

生きている会社、死んでいる会社

生きている会社、死んでいる会社

 

 

過去の分析から、未来を考えることはとても大事なことです。でも、その分析の結果が、今を生きる人たちにとって、どうしようもできないことだけが導き出されていても、全く意味を持ちません。
ただ日本すごいだけを言われるのも困るのですが、読んだ若い人に何をさせたいのだろう。日本がダメだと冷静に分析して、どうするのだろう?解決策の提示は?日本を捨てて、どこか他の国で生きることを示唆してるのかなぁ。

※今回は引用が多く、長い文になってしまい恐縮です。(しかし、東洋経済オンラインさんって、玉石混交凄し、ですね。)また、この引用は、引用元の書き手の皆様の本意を必ずしも正確に受け取っていない可能性もあります。引用からの文脈解説は筆者の意見です。文責はこのブログの筆者にあります。