これって本当?〜時間を懲罰の道具にする文化

過労による病死または自死が問題となっています。電通を責めていた公共放送NHKも同じ穴の貉だったことで、第2ステージに入った感があります。

勿論、人が亡くなったり、身体を壊したりするのが当たり前だという会社はアウトです。でも、そこまでして働いて、生き残った人が地位や給与に於いて、ピラミッド型社会の上位に位置すること、それこそがサラリーマンの自己実現だとする、日本の戦後を築いてきた考えの一つではないかとも思います。

 

僕がサラリーマンだった時に関わった上席の人を思い出します。時間という締め切りを巡って、全ての習慣が形作られていたような会社でした。つまり、寝なくて当たり前。24時間働くのが普通だった時代ですから。今から考えると、時間を懲罰の道具のように使う人たちが、ピラミッドのより上位に位置しておりました。

僕が“お世話になった”お2人とも、結構エライ人でした。共通していたのは「俺は聞いてない」と「俺はそうは言ってない」というセリフが、結構その人たちの口から聞かれたこと。「コンプライアンス」という言葉を愛し、忖度を“要求”する人、ですね。やれやれ。


1人目は、1日2食という自分のスケジュールに合わせて、全ての業務を発注する人。お昼ご飯は食べないのが習慣。通常は休憩時間である12時から13時という時間帯も業務時間に含めることを、部下にも当たり前とさせていました。特に、資料などペーパーの修正については、このルールがかなり厳密に適用されていたように覚えています。

 

2人目は、24時間全てを仕事に充当することを求める人でした。そして、自分が全てを把握していないと気がすまない人。この人は、部下たちが次々と辞めて行ったり、身体を壊してしまうことが続くことで知られておりました。僕が直接被った例では、翌日の朝の会議に向けて、前日18時頃に説明した資料について、根底からのダメ出しをくらい、明日の朝の会議まで16時間あると言って、資料をつっかえされたことを覚えています。勿論、会社ですから、まともな成果物を求めるのは当たり前です。でも、その人、結構難しい人で、僕にとっては意図がよく分からない、どの方向に持っていけば納得するのか分からない上司でした。さらに僕は、所謂、「悪魔の証明」を求める人だと感じてました。一般的には「悪魔の証明」とは、起きないことや、存在しないことを証明することは困難であるという詭弁(術)の一種。想像力が逞しいのか、新規事業の提案に対して、「◯◯なこと(リスクになりそうなこと)は絶対に起きないのだろうな」という言質や証左を求めるので、若干辟易していたのも事実。「絶対」って、あなた、それは無理でしょう。

 

このお2人には、当時は、大変だとは思っていましたが、それなりに頑張って対処していました。お前が間抜けな社員だったからと言われれば、反論の余地もありません。お前を育ててやる、という意図で、厳しく対応されていたのかもしれません。
でも今になって考えると、24時間全てを会社に捧げることを要求することで、結果として時間を懲罰の道具のように使うことに長けていた人たちだと思います。

人材育成の方法として、本人の能力を少し超える課題を与えるという方法は一般的なものです。また、効率という面の向上を考えて、時間を限るという方法もあるはずです。これは、最初は時間内に収まらないということも含んでいる、未来のための“負荷”を与えるという方法です。もしかしたら、このような人材育成方法は、過去のものとなるかもしれません。時間を懲罰の道具に使わない人材育成。
いずれにしても、前述のようなエライ人たちは、まだ会社に生き残っています。文化は身体に染み込んでいるもの。あの会社が変わるには10年単位の時間が必要になるのかもなぁ。