オルタナファクトの世界に住んでいる透明な人たち

昼下がり、ちょうど1時過ぎでしょうか。30年前から通っている中華料理店に入って、ランチのB定食を頼みました。内容は、豆腐と海老とイカの旨煮。毎度、店の前を通りかかって、これか、海老の卵とじ炒めのどちらかがメニューに上がっていると、ついつい寄ってしまいます。
 

さて、この時の大きな丸テーブル2つと4人掛けテーブル席6つの店内、ちらほらとお客さんがおりました。私は丸テーブル。程なく、定食が運ばれてきて、早速堪能。ここである光景を目撃しました。
もう一つの丸テーブルにいた男性が挙手して、「すいません」とお店の方に声をかけました。微妙なタイミングでしたが、テーブル席の1つにいた60代くらいの女性3人組の1人も、グループの人と喋りながら、ほぼ同時に挙手しました。店の方がやってきます。先に男性に気づいたようでしたので、男性に近寄ります。そこで、男性が「あ、向こうが先かな」と言いました。お、いい人じゃん、ジェントルマン、と僕は心の中で喝采。お店の方が女性に近寄り、「はい?」といいました。何かご用ですか、という声かけです。しかし、その女性、「え?ただ手を上げていただけよ」と返して、仲間とのお喋りに戻ったのです。それも謝りもせず。先ほどの男性も「なんだよ」と呟いたのが聞こえました。
僕は超びっくり。店の人にとってはサービスの一環とはいえ、女性は自分の行為が引き起こしたことなのに、何事もなかったかのように、お喋りを続けていました。

この人はどういう人なのでしょうか。「私はただ手を上げたいから、上げていただけ。店員は勝手に寄ってきたのだから、知ったことではない。」と思っているか、そもそも何も思っていないのか。でも、「私はそんなつもりはない。だから他人がどう解釈しようが、知ったことではない。誤解があっても責任はない」という態度を見てしまいます。こういう人、とっても多いように感じます。どんどん増えている。「そんなつもりじゃない」症候群にかかっている人。他者に対して無関心な人たち。

2005年7月のロンドンでの同時多発テロの際、監視カメラが犯人の特定に大きく寄与したと言われています。当時の記事を当たってみると、既にイギリス国内には428万台の街頭監視カメラがあり、ロンドンの地下鉄には6000台、市内のバスの65%にあたる5200台に車内監視カメラが設置されている状況でした。街頭のカメラは、150メートル離れた人物の表情もとらることが出来るそうです。ロンドン市内を歩く場合、1人当たり1日最高で300回映り込む計算になるというくらいのメッシュで設置されています。イギリス政府は、この監視カメラのお陰で、テロが未然に防がれているとも言っています。(もちろん万能ではありません。ご存知の通り、テロは起きます。)

日本でも犯罪が起きると、主な幹線道路に設置してあるNシステム(自動車ナンバー自動読取装置)やコンビニのカメラを筆頭に、さまざまな場所に設置されている監視カメラの映像によって、解決の糸口が見つかることが多くなっています。今後は、新幹線そして山手線のような在来線にも、カメラが設置されてようとしています。痴漢と痴漢冤罪、それぞれ、これにより減るといいですね。

監視カメラについて、プライバシーを侵害するという意見があります。しかし、これらの“監視装置”が無かったら、どうなるのでしょうか。少なくとも今より、犯罪を行った人たちが検挙されるまでにかかる時間と手間が増えるでしょう。なぜなら、他者への無関心な人が増えているからだと思います。もしかしたら、他人への無関心、つまり他者を見ていない代わりに、カメラがその役割を果たしているのかも。
先に言っておきますが、いわゆる共謀罪、改正組織犯罪処罰法の是非とは別です。法律の恣意的な援用によって、政権や権力者と言われる人たちの意向の通りになるのはまっぴら御免です。検察の特捜部なんて、往々にして今までも結構、この傾向がありましたからね。

話を戻します。街頭に監視カメラが増えることで、プライバシーが侵害されると言う人がいますが、プライバシーとは、そういうものでしょうか。誰が見ていても、見ていなくても、行ってはダメなことはダメなのでは。だから、少なくとも街頭で行うことは、誰に見られても恥ずかしくないことでしょう。インターネットも含めた最新技術による便利さのもたらす不安とでも言うのでしょうか。それを徒らに強調しても、意味がありません。また、関連して、電子メールの秘匿性についても議論があります。でも、そもそも「絶対に」という言葉は技術的にあり得ません。読もうと思えば、電子メールなんていくらでも他人に読まれる可能性があるのです。インターネットセキュリティの専門家から聞いたのですが、ハリウッドの映画関係者はGoogleGmailは絶対に使わない、とのこと。その理由は企画の秘密が漏れるからだそうです。たとえ個人が特定されていなくとも、ある地域で飛び交うメールの中に一定の言葉が多く含まれていれば、企画の方向性などが推測できるからだそうです。成り立ちから言っても、電子メールなんて、そんなものです。郵便と同じ、読まないという紳士協定が前提になっているだけです。

イタリア人の友達に「イタリアではアルカイダのテロ、無いね」と訊いたら、マフィアがいるから大丈夫だって。つまり、日常生活の中にマフィアが入り込んでいるから、彼らの知らない人たちが集まって、何か相談していて、剰えテロを企ていたりしたら、すぐにバレてしまうからだと言うのです。嘘のような本当の話。これは監視社会と言いますかね?

「我々はもっと守られるべきだ。でも監視するな。」最近の問題の至るところに、このような感覚的な矛盾を孕んだ主張がなされているように感じます。構ってもらいたいけど、自分のテリトリーには入って来て欲しくない。そして、これは「そんなつもりじゃない」症候群の裏返しでしょう。
「そんなつもりじゃない」症候群にかかっている人は、自分はさまざまなことから圏外にいる、つまり関係ないと思っているのです。しかし、それは頭の中、お花畑状態。実際の世の中の流れと異なる、それこそ自分の思いだけで出来上がっているオルタナファクトの中で生きているに過ぎないです。他者への無関心の裏返しです。他者が見る自分があることを忘れている人。輪郭のある透明な人たち。
「ただ、手を上げていただけ」と答えた女性、他者としてこの光景を見たら、どのように思うのでしょうか。また、自分が店の人だったら、どのように感じるでしょうか。
話が飛躍しているようですが、オルタナファクトという言葉に象徴される事態は、このような日常の中の潜んでいます。やっぱり、忖度ばかりじゃ、ダメなんじゃないですか。