自分に足し算、引き算ーオルタナファクトを生む慢心

1日に2回はスターバックスに立ち寄っています。日課ですね。家に近い店、事務所に近い店、得意先のビルの地下の店、いくつかの“定点”のような場所があります。アイスラテを飲まない日はほとんどありません。この稿も、いつものスターバックスで書き始めました。

元々、僕の家にはコーヒーを飲む習慣がありませんでした。昭和の普通の家でしたから。また子どもの頃、コーヒーは身体に悪い飲み物だと言われていました。そんな思い込みもあり、何かの機会に飲んでも美味しく感じませんでした。そのほとんどがインスタントコーヒーだったことも、その原因の一つだったと思います。缶コーヒーもイマイチ、嗜好に合わなかったなぁ。そうそう、缶コーヒーって、1日に7本飲むヘビーユーザー、それも男子が主なユーザーなんですってね。

大人になってから、料理に関わる仕事をしていた時、そう1990年くらいのことだと思います。有楽町にあるフランス料理店アピシウスの高橋徳男シェフとお仕事させていただいた時のことです。アピシウス、ご存じですよね。その頃も黄金期でした。店内の調度品は最高級、その中に本物のマネやモネの絵画、ロダンの彫刻がさりげなく、配置してあるお店でした。キッチンも広くて明るくてピカピカ。日本中、そしてフランスから最高の食材が運ばれてきていました。ちょうどジビエの季節でした。今まで本でしか読んだことの無かったジビエが目の前に。さらに、素晴らしいワインリスト。

メニューの設計図

メニューの設計図

 

 
お客としては、ほんの2、3度しか伺ったことはありませんが、満腹中枢を乗り越えそうなくらいに食べたくなるメニューが並んでいました。さらにご記憶のある方も多いと思いますが、デザートに加えての果物の数々。未知のものばかりありました。名前を覚えていないのですが、南洋の果物。緑の皮の下は白いクリーム状の果肉。こいつがあったのです。スプーンで掬って食べるのですが、自分がアレルギー持ちであることを忘れて口にいれた瞬間、口の中全体に針が刺さったような刺激で飛び上がったことを覚えています。変な思い出ですが。やっぱり南洋のものは要注意。

そう、そのアピシウスのコーヒーが、僕の美味しいコーヒー初体験でした。打ち合わせに伺ったある昼下がり。コーヒーが出ました。美味しい!これがコーヒーの味なのか、初めて知りました。温度も適正だったことを覚えています。
フランス人は猫舌だと言われていますが、本当なんでしょうか。確か、日本から進出したタコ焼き屋さんが、苦戦した理由がこれだそうです。フランス人は、タコ焼きが熱くて食べられない(「情熱大陸」で拝見した記憶です)。そう口に入るものは、温度も問題です。毎度の脱線話ですが、惚けた老人の食生活を調べると、冷たい甘いものを好む男性が多かったという話を訊いたことがあります。これ、僕のこと。

果たして、どんなコーヒーが美味しいのか。サードウェーブと呼ばれる、いわゆる、意識高い系のコーヒーがよくわかりません。美味しくないのです。深炒りされて出た酸味がイマイチ。それに温度も高い。さまざまな研究の結果、それがコーヒー豆の本来の味を引き出すことになると言うのですが。これって、妙な例えなのですが、出汁の使い方に近いような気がします。なんでもかんでも一番出汁を使えばいいというわけでもないのです。その理由は美味し過ぎるから。和食のコースで言えば、椀だけでいいのです。一番出汁を使うのは。もし、深炒りのコーヒーが一番出汁なら、それ一杯飲むだけの時はいいのではないでしょうか。(僕はそもそも美味しいとは思っていませんが)その材料の一番濃い持ち味を出すことだけが、素材を生かすことではないと思うのです。過ぎたるは猶及ばざるが如し、ですかね。さらに考えれば、食事の流れの中、1日の生活の流れの中で、コーヒーという飲み物の在り方をどこに置くか、でしょうか。

 

ちょっと前ですが、面白い言葉に出会いました。NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられていたフランス料理のシェフ、浜田統之さんの言葉です。浜田さんは、新しいコンセプトで知られる旅館、星野グループの高級旅館、東京駅そばに出来た「星のや東京」の料理長です。フランス料理の技量を比べる、ポール・ボキューズコンクールで日本が第三位になった時のメンバーです。彼が番組の中で、いろいろな試行錯誤を行いながら、「フランス料理は足し算」だと言っていました。面白い。一方、思い出すのは、僕が若いころ、よくお邪魔していた三田のコート・ドールの斉須政雄シェフは「引き算」だとおっしゃっていたことです。僕的には、浜田さんが取り組んでいた素材がカスベ(エイ)で、斉須さんにお話を訊いた際の料理もカスベを素材にしたものだったので、さらに面白く感じました。これは、どちらが正しいかということではなく、それぞれのアプローチだと思うのですが、ちょっと面白い対比です。

調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

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少数精鋭の組織論 (幻冬舎新書)

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足すのか、引くのか。意識高い系のコーヒーが美味しいか、美味しくないかは、個人の味覚の問題なので、絶対的なものではないし、そもそも味覚は個人的なもので、かなり思い込みの産物であることが多く、客観的ではないことは自明です。でも、 どうしても自分の味覚が絶対的であることを主張したい人々がいます。例えば、関東は味が濃く、関西は味が薄味、というヤツですね。この手の人は、これが昂じると、関西人は味がよく分かる、に転じます。やれやれ。(関西のお住まいの方、全般を指しているわけではありません。あしからず。)また、釣ったばかりの魚が一番美味しいと主張される方と話すのも苦手です。釣り上げたばかりの魚は、水温と魚の体温が微妙なので、まず美味しくない。でも、それが気にならない方がいるのです。そう、自分の感覚を絶対的なものだとして、それを根拠に何かを語られると対処に困ります。でも昨今、こんな人がとても多い。困りましたね。そういう人に限って必ず言う言葉「私がそう思ったのだから、間違いない」。

これがオルタナファクトそのもの。料理の於ける足し算、引き算の喩えは、言い得て妙な表現です。これでいいと感じた時に一つ足す、または一つ引く。これが客観的な視点を作るのはないでしょうか。どんな時でもできるかな。