宇宙人の意向を忖度するとー日々是決戦

映画「メッセージ(Arrival)」を観ました。1998年に発表された原作「Story of Your Life(邦題「あなたの人生の物語」)」を元にしたSF映画です。この原作は1999年にシオドア・スタージョン記念賞、2000年にネビュラ賞中長編小説部門、という英語で書かれ、アメリカで出版されたSF(Speculative FictionもしくはScience Ficiton)またはファンタジー小説の中から選ばれる賞を受賞もしくはベストに選考されています。ちなみに両賞の受賞作は、翻訳されていても日本では知られている作品は殆どありません。端的に言って、面白い小説が少ないからでしょう。どちらかと言うと、「ふーん、そういう風に考えることも出来るんだ」と読みながら考える、そうSpeculative Fiction、思索的小説に分類される作品がほとんどだからです。

 

あなたの人生の物語

あなたの人生の物語

 

 

映画の中に「サピア=ウォーフの仮説(Sapir-Whorf hypothesis)」が出てきて、大学の言語学の授業を思い出しました。この仮説は、「言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与する」つまり、話す言葉によって、現実の見え方が違う、という言語相対性仮説と呼ばれています。「どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものである」という考え方に疑問を呈しています。
映画のストーリーは、ネタバレにならない範囲で書きますと、ある日突然、地球にやってきた宇宙人とどのように意志疎通を図るか、というお話です。
時間の概念がない言語を話す人たちにとって、現在も過去も未来も同じ“ところ”にあるなら、どうなるか、という原作(あ、これはネタバレか!)に、エンターテインメント的というか映画的要素が加わり、エンディングに向けて、緊張感のあるストーリーが進行します。

しかし、このエンディング。これが不評。毎度ながら、Wikipediaで映画の基本的なデータを調べていたら、いくつかの映画評にあたりました。どれも全く褒めてない。貶しているものばかり。「ご都合主義的なオチに腹が立つ」ということらしく、どうやら、突然、主人公に備わったかのような未来がわかる超能力によって、危機が回避できたように感じている人が多いようです。確かに、それでは一種の夢オチの逆で、今時有り得ないと感じるでしょう。
でも、本当は違うのに。確かに、設定的に重要なセリフが微妙にわかりづらい。字幕は難しい。まあ、万人受けする映画ではないでしょう。すっきり!することもない。でも酷い映画だと喧伝することに意味はあるのでしょうか。私は好きではなかった、と何故言えないのでしょうかね。

うーん、そういう人とどのようにコミュニケーションをとるかが、この映画のテーマの一つでは。人間の意向を忖度するのだって難しいのだから、宇宙人の意向を忖度するのはもっと大変。
劇中に出てくるではありませんか、キャプテンクックがオーストラリア大陸を発見した時、お腹に袋を持つ謎の動物がいたので、出会ったアボリジニ人にあれはなんだと訊ねてみたら、彼らが「カンガルー」と言った。なるほどカンガルーという名前なのかと、以後そのように呼んだ。でも実は、アボリジニ人は「わからない」と答えたのだ。面白い話ですが、これは俗説です。面白い都市伝説です。当て推量から生じた誤解。

とにかく、「メッセージ」は宇宙人の意向を忖度する過程で起きる事件、事態を描いています。忖度、ですよ。
「忖度」とは、他人の気持ちを推し量ること。推量。人間の意向を忖度するのだって難しいのだから、宇宙人の意向を忖度するのはもっと大変。

そう、意志を伝えるのは難しい。意図を伝えるのは難しい。特にはっきり言わない、態度に示さない場合は忖度するしかないので、さらに難しい。
最近読んだNewsPicksでのホリエモン高城剛さんの対談で、高城さんが「(バブル崩壊以降、)日本は完全にピラミッド構造になって、忖度システムになりました。それをガバナンスと言い換えています。」(ちなみにこの一言は続きがあります。「だから、トップの力量で未来が予測できるんですよ。」)とで言っていました。)ピラミッド構造の組織で、下の人が上の人の意向を推量しながら、何かを進めるって、なんという非効率なことでしょう。縦割り組織で、蛸壺化していたら尚更です。

大日本帝國の軍人は文学書を読まないだけではなく、一般の政治書、良識的な啓蒙書も読まない。全て実学の中で学ぶのと、『軍人勅諭』が示している精神的空間の充足感を身につけるだけ。いわば人間形成が偏頗(へんぱ)なのである。こういうタイプの政治家、軍人は三つの共通点を持つ。『精神論が好き』「妥協は敗北』『事実誤認は当たり前』」。サンデー毎日(2017.7.16 )の「一語一会・私が出会った『昭和の怪物』東条英機」の中で、ノンフィクション作家・評論家の保坂正康さんが書いています。教養がないというのは、こういうことなのではないでしょうか。

最後に毎度ながら、ネームドロッピングで。
「もともと、わたくしは浅学にして菲才、どちらかといえば無内容な人間である」「私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役に立つことを普及もしている。がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身は――ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない」伊丹十三さんが書いてました。日々是決戦。代ゼミではないですが、勉強しましょう。