知るということ、知っているということーそしてどうする

日曜日の夜のテレビライフ。ここ最近は21時から「A LIFE」。22時からは、林修さんの番組「林先生が驚く初耳学!」を観ています。林さんは1965年生まれということですから、僕とほぼ同い年。勝手に物知り度を競いながら観ています。やはり結構、負けています。断片的な知識ではなく、体系的に蓄えている知識に、時として脱帽します。

しかし僕にとって、凄い物知りと言えば、1人しかいません。松岡正剛先生です。もう70歳を越されたのですね。ちょっと前ですが、渋谷のMARUZEN&ジュンク堂書店で、お見かけしました。と言っても、親しく声をお掛けする間柄ではないので、遠くから黙礼させていただきました。

代官山というか青葉台のマンションにお訪ねしたのは25年くらい前のこと。夏。1990年だと思います。マンションの一室、天井まである本棚。冷んやりした空気の中、会社を辞めたいとかなんとか言っている青二才の僕に、松岡正剛先生は「翔ぶのは今ですね」と。

 

20代に入ったばかりの頃、荒俣宏さんの本に出会いました。「帝都物語帝都物語 第壱番<帝都物語> (角川文庫))」です。他の荒俣さんの他の本に手を出そうとしたら、工作舎のラインナップにぶち当たりました。「理科系の文学誌」、「大博物学時代ー進化と超進化の夢」、「本朝幻想文學縁起ー震えて眠る子らのために」。装幀も印象的な忘れられない本です。

同時にこの頃は、今思うと若気の至りか、ライアル・ワトソン(Lyall Watson:ニューサイエンスと呼ばれた1980年代のムーブメントを代表する学者:「生命潮流(生命潮流―来たるべきものの予感)」の内容が全て創作だったとは!)とコリン・ウィルソン(Colin Wilson:イギリスの作家、評論家)に入れ込んでいました。

ちょうど1984年でしょうか、弘法大師入定1150年御遠忌の大イベントとして、ライアル・ワトソン、フリッチョフ・カプラ(Fritjof Capra:アメリカの物理学者、システム理論家)、コリン・ウィルソン、松長有慶(高野山真言宗総本山金剛峰寺・第412代座主)、そして松岡正剛というメンバーが空海密教について語り合うという、今思うと僕的オールスターキャストが一同に会するイベントが行われました。僕はいざ鎌倉(という気分で)と、東京から早朝の新幹線、南海電鉄を乗り継いで、高野山に参りました。ちょうど、高野山を登る登山電車に怪しい男性、なんだか気になる男性と乗り合わせました。後から思うと、あれは荒俣さんだったのではないかと思っています。そして、僕の興味の向こうには、どうやら松岡正剛という人が聳え立っていることが、だんだんわかってきました。

工作舎物語 眠りたくなかった時代

工作舎物語 眠りたくなかった時代

 

 

とにかく、入って2年ばかりしか経っていない会社を辞めたいと思うことがありました。社外のある方に相談したところ、松岡先生にお世話になったらということで、青葉台に伺った次第。その頃、その方はアルファスパイダーにお乗りで、僕はアルファとしては格落ちですがアルファスッドに乗っていたというご縁もありました。また最新のガジェットをお持ちの方で、ニュートン(Apple Newton Message Pad)を見せていただいたりしました。ニュートンは、僕の手書きは全く判別しなかったことを覚えています。まさか、漢字や平仮名を書き順で判断しているわけではなかったでしょうに。ちなみに日本ではアルファベットまで、小学校で書き順を教えるので、テレビに出ている外国人が手書きで何かを書く時、当然ながらまったく書き順もへったくれもなく書くので、視聴者から書き順が違うとクレーム電話が入ったりします。

さて、とても暑い夏の昼下がりでした。旧山手通り沿いに門があり、建物までは100メートルくらい歩く、奥まったマンション。その静かで、冷んやりとしたエントランスにある案内に松岡正剛事務所、それに編集工学研究所と分かれてありました。さらに、辻静雄、とありました。そう、料理界の東大、辻調理師専門学校学校(通称:辻調)総帥の辻さんの御宅も、同じ青葉台のマンションにあったのです。元はナイジェリア大使館の大使公邸だったいう白亜の建物です。

あぁ、このマンション、松岡先生だけじゃなくて、辻静雄さんもお住まいなんだ。開高さん(作家・開高健)の「最後の晩餐 (文春文庫 か 1-5)」にある、あの晩餐会が行われてるんだ。僕にとっては、ギリシャの神々の神託を受ける、デルフィの神殿のような場所に思えました。

料理天国」という番組、覚えていますか?1975年からTBS系列で放送されていた料理バラエティ番組です。そこに出演し腕を揮う辻調の教授たちは、和、洋、中の一流の料理人。辻調では毎年ヨーロッパの著名レストランを周り、世界の最新料理情報を集めるというグランドツアーが行われていました。そこに参加したことのある、凄腕の料理人たちが最高の食材を使って料理を作り、ゲストが食べて感想を言う。一度でいいから、参加してみたかったと思う番組でした。

この番組と同じことが青葉台の辻邸で行われていたのです。この晩餐会は辻調の教授たちの腕を辻さんが試す場であり、ゲストに本当のフランス料理、中華料理、そして日本料理を伝える場だったと思います。

辻さんは古今東西の料理に関係する書籍の蒐集家として知られていました。特に古典フランス料理に関する稀覯本のコレクションは世界的なものだった言われています。

辻さんの生涯については、ノンフィクションライター海老沢泰久さんの小説「美味礼讃 (文春文庫)」(1992年刊)にくわしくあります。辻さんは1993年に60歳で亡くなりました。早過ぎ。早かった。早逝です。あのマンションも既にありません。

 

松岡先生の言葉に後押しされたにも関わらず、僕は結局、その時は辞めずに、勤め続けました。50代の入り口に二度目のタイミングがあり、そして三度目の正直ではありませんが、三度目のタイミングで辞めました。あの暑い夏の一日から25年以上の歳月が過ぎていました。 

松岡先生が監修された本「情報の歴史」。1990年に出版された大著です。(下段にあるのは1996年に出版された増補版です。1990年版は中古でしか手に入らない状態です。)無人島に流されることになった時、本を1冊だけ持っていけるとしたら、何を選ぶかという質問がありますが、僕はこの本を持っていきます。世界史と各国史と日本史を並列にして、さらに年表の中にトピックとなる見出しが入るレイアウトの妙。知らないことだらけ、です。刊行から既に30年近く経っているので、ぜひ追補版を出していただけたらと思います。

情報の歴史―象形文字から人工知能まで (Books in form (Special))

情報の歴史―象形文字から人工知能まで (Books in form (Special))

 

 

人間の脳をハードコピーすることは、今のところ出来ません。だから、その人が亡くなると、その人が知っていたことは失われます。人間関係も同じです。そこにあったものの重大さを知ってしまうと、失われたものの価値に初めて気づきます。

 

映画監督&俳優・伊丹十三さん、ドイツ文学者&評論家・種村季広さんと辻さんの鼎談の中で、種村さんの「食べ物(食べ方=料理法)のバリエーションは、コミュニケーションの量に比例する」との指摘に「知らないということは幸福なんですよ。情報を与えられるということが人間の不幸の始まりなんです。」と辻さんが仰っられました。そして、伊丹さんが「つまり、進歩、発達の始まり」だと。

そう、たとえそれが不幸の始まりだとしても、僕は知らないでいるより、もっとたくさんのことを知りたいと思っています。問題は、そのあとどうするか、ですかね。