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SFとオルタナファクト

映画 オルタナファクト 16ミリ映写機 タイムボカン スターウォーズ クリストファー・ノーラン

そもそも本離れが進んでいる中、SFという分野は絶滅危惧種になっているように思います。だからでしょうか、SFが好きだと言うとかなりのオタク感があります。そもそも、SFとは何か?サイエンス・フィクションの略というのが一番簡単な答えです。スペキュレイティブ・フィクション=思索的フィクション、という答えもあります。読み物としてのSFは廃れていく一方ですが、ハリウッド映画では次々と大作=お金のかかったSF作品が作られています。合成技術の進歩でどんなもので描けるようになっているからでしょうか。製作者の想像力の翼の広がりは、それこそ無限です。
しかし、大概、宇宙で戦う映画は婦女子受けしません。一緒に観に行ってもらえません。もちろんスターウォーズシリーズが好きだという女子もいらっしゃると思いますが。

僕の好きな映画監督の一人に、クリストファー・ノーラン監督がいます。作品としても、「インセプション(Inception)インセプション (字幕版)」「ダークナイトライジング(Dark Night Rises)ダークナイト ライジング (字幕版)」「インターステラー(Intersteller)インターステラー(字幕版)」がall time the bestに入ってきます。戦争映画ですが、次回作の「ダンケルクDUNKIRK)」にも大いに期待しています。なんたって、IMAX70㎜フィルム撮影ですからねっ。しかし、僕の周囲の婦女子にこの3本は全く評価されません。特に「インターステラー」は長くて理屈っぽい話と思われて、敬遠No.1の作品です。僕がハマる部分とクリストファー・ノーラン監督の作家性が鍵なのかもしれません。

 

さて、何故SFが好きなのか。中学校の図書室がスタート点になり、次々とSF作品に出会ったことがきっかけのように思います。体育館の1階の図書室でした。結構大きな図書室で、それなりに蔵書もあったように記憶しています。そこに早川書房の「世界SF全集」全35巻が置いてありました。司書だった国語の先生が担任だったこともあり、図書室に入り浸って全巻読破。海外の作家では、ジュール・ベルヌ(Joule Berne)やロバート・A・ハインライン(Robert A. Heinlein)、アーサー・C・クラーク(Arther C. Clark)。日本の作家では、星新一小松左京筒井康隆。他の作品に手が伸びていきました。

ついでの話ですが、この先生が16㎜フィルムの上映会を行いました。司書で視聴覚教育の担当だったのでしょう。映画は第二次世界大戦末期のソ連による樺太侵攻の話。当時の樺太の電信局の電話交換手の女性たちが戦火に倒れた「北のひめゆり」事件を描いた映画でした。僕も見ましたし、上映の手伝いをしたような。2学期になると、それが問題になったという噂が流れ、翌年、その先生は転勤。お辞めになったとも。なんだったのでしょうか。

この時の上映の手伝いがきっかけだったのか、自分でも映写機を操作してみたいと思ったようです。まだビデオのない時代(あるにはあったのですが、業務用と同じSonyのUマチック:知らないでしょう?)だったので、16ミリ映写機が学校にはあり、操作資格を持つ先生が1人はいました。この資格を持っている人がいれば、16ミリフィルムを借りて上映出来ることを知った僕は、文化祭で上映会を行うことを企画しました。中学校3年生でした。どうやってリストを手にいれたかは覚えていません。ちょうど「宇宙戦艦ヤマト」に入れ込んでいたのでアニメがいいと、「タイムボカンタイムボカン名曲の夕べ)」と「ミッキーマウス(のなんとか)」を借りることにしました。原資は一人あたり100円供出すると映画が見られると校内で口コミ宣伝して募りました。今で言うファンドです。しかも怪しい。(しかし、よく許されたものだと思います。どうやって許可取ったのだろう?)

タイムボカン」は制作のタツノコプロに直接、借りに行きました。当時のタツノコプロ三鷹の駅の前にあったように記憶しています(違うかなぁ)。そこまでJRではなく国鉄(まだそんな時代です)に乗って行きました。約束の時間までに余裕があったので、駅前の本屋さんに。そこで、グイン・サーガとの邂逅がありました。第1巻「豹頭の仮面(豹頭の仮面―グイン・サーガ(1) (ハヤカワ文庫JA))」、第2巻「荒野の戦士(グイン・サーガ 全130巻セット(ハヤカワ文庫))」。豹の頭を持つ超絶無敵の戦士グインを主人公として展開するヒロイックファンタジーです。作者の栗本薫さんは残念ながらストーリーはまだまだ続く130巻を書き上げることなく、2009年に亡くなりました。その後、複数の若手作家が続編を書くこと(ペリー・ローダン方式ですかね。どんな方式かって?説明は省きます。)になり、2017年3月現在で140巻まで刊行されています。グイン・サーガとの出会いが、その後のSF好き人生を決めたように思います。

最近では、とにかくSFと現実の境界線はどんどん薄まってきています。もし、現実がこうなったらと考えるような、ノンフィクションがフィクションを浸食しているのような、平行世界(パラレルワールド)的考え方が一般的になっているとも言えます。
だって、オルタナファクトという言葉は、もう一つの事実、現実があると言っていることですよね。
アメリカではトランプ大統領就任で先行き不安なタイミングになったのか、パラレルワールドものSFがフィーチャーされています。フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)「高い城の男(高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568))」がAmazonビデオでドラマ化され、シーズン2に突入する人気、そしてジョージ・オーウェルGeorge Orwell)「1984一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫))」がAmazonの書籍売り上げのトップに躍り出たというニュースがありました。

僕の好きな=購読し続けている漫画「空母いぶき(空母いぶき 6 (ビッグコミックス))」かわぐちかいじ作、「クロコーチクロコーチ(17) (ニチブンコミックス))」リチャード・ウー原作、コウノコウジ作画、「へうげものへうげもの(23) (モーニングコミックス))」山田芳裕作、そして「アルキメデスの大戦(アルキメデスの大戦(6) (ヤンマガKCスペシャル))」三田紀房作のどれもが、現実にあったことを軸に、想像を膨らませている、パラレルワールドものの一種とも言えそうです。

僕の子どもの頃は、原子力を動力としたロボットが地球の危機を救い、クルマは自動運転でなおかつ空を飛んでいるバラ色の未来が描かれていました。しかし、2017年現在ではまだ原子力の安全性が問われ、クルマは相変わらず地上を走っています。予想外に発達したのは携帯電話(スマートフォン)。今後はスマートフォンを入り口にしてAIと繋がり、世界との接点になるのでしょう。
それは、まるでウフコック(「マルドゥック・スクランブル」2003年・冲方丁著に登場するユニバーサル・ウェポン。多次元構造を利用して何にでも変身、変化する。これの元ネタのアイディアが、ヒューゴ・ガーンズバック[Hugo Gernsback]かフレドリック・ブラウン[Fredric Brown]の作品にあったような。思い出せませんが。)のように手の中で何にでもなり得るのです。
でも、せめて自らでコントロール出来るものに変身させましょう。