知るということ、知っているということーそしてどうする

日曜日の夜のテレビライフ。ここ最近は21時から「A LIFE」。22時からは、林修さんの番組「林先生が驚く初耳学!」を観ています。林さんは1965年生まれということですから、僕とほぼ同い年。勝手に物知り度を競いながら観ています。やはり結構、負けています。断片的な知識ではなく、体系的に蓄えている知識に、時として脱帽します。

しかし僕にとって、凄い物知りと言えば、1人しかいません。松岡正剛先生です。もう70歳を越されたのですね。ちょっと前ですが、渋谷のMARUZEN&ジュンク堂書店で、お見かけしました。と言っても、親しく声をお掛けする間柄ではないので、遠くから黙礼させていただきました。

代官山というか青葉台のマンションにお訪ねしたのは25年くらい前のこと。夏。1990年だと思います。マンションの一室、天井まである本棚。冷んやりした空気の中、会社を辞めたいとかなんとか言っている青二才の僕に、松岡正剛先生は「翔ぶのは今ですね」と。

 

20代に入ったばかりの頃、荒俣宏さんの本に出会いました。「帝都物語帝都物語 第壱番<帝都物語> (角川文庫))」です。他の荒俣さんの他の本に手を出そうとしたら、工作舎のラインナップにぶち当たりました。「理科系の文学誌」、「大博物学時代ー進化と超進化の夢」、「本朝幻想文學縁起ー震えて眠る子らのために」。装幀も印象的な忘れられない本です。

同時にこの頃は、今思うと若気の至りか、ライアル・ワトソン(Lyall Watson:ニューサイエンスと呼ばれた1980年代のムーブメントを代表する学者:「生命潮流(生命潮流―来たるべきものの予感)」の内容が全て創作だったとは!)とコリン・ウィルソン(Colin Wilson:イギリスの作家、評論家)に入れ込んでいました。

ちょうど1984年でしょうか、弘法大師入定1150年御遠忌の大イベントとして、ライアル・ワトソン、フリッチョフ・カプラ(Fritjof Capra:アメリカの物理学者、システム理論家)、コリン・ウィルソン、松長有慶(高野山真言宗総本山金剛峰寺・第412代座主)、そして松岡正剛というメンバーが空海密教について語り合うという、今思うと僕的オールスターキャストが一同に会するイベントが行われました。僕はいざ鎌倉(という気分で)と、東京から早朝の新幹線、南海電鉄を乗り継いで、高野山に参りました。ちょうど、高野山を登る登山電車に怪しい男性、なんだか気になる男性と乗り合わせました。後から思うと、あれは荒俣さんだったのではないかと思っています。そして、僕の興味の向こうには、どうやら松岡正剛という人が聳え立っていることが、だんだんわかってきました。

工作舎物語 眠りたくなかった時代

工作舎物語 眠りたくなかった時代

 

 

とにかく、入って2年ばかりしか経っていない会社を辞めたいと思うことがありました。社外のある方に相談したところ、松岡先生にお世話になったらということで、青葉台に伺った次第。その頃、その方はアルファスパイダーにお乗りで、僕はアルファとしては格落ちですがアルファスッドに乗っていたというご縁もありました。また最新のガジェットをお持ちの方で、ニュートン(Apple Newton Message Pad)を見せていただいたりしました。ニュートンは、僕の手書きは全く判別しなかったことを覚えています。まさか、漢字や平仮名を書き順で判断しているわけではなかったでしょうに。ちなみに日本ではアルファベットまで、小学校で書き順を教えるので、テレビに出ている外国人が手書きで何かを書く時、当然ながらまったく書き順もへったくれもなく書くので、視聴者から書き順が違うとクレーム電話が入ったりします。

さて、とても暑い夏の昼下がりでした。旧山手通り沿いに門があり、建物までは100メートルくらい歩く、奥まったマンション。その静かで、冷んやりとしたエントランスにある案内に松岡正剛事務所、それに編集工学研究所と分かれてありました。さらに、辻静雄、とありました。そう、料理界の東大、辻調理師専門学校学校(通称:辻調)総帥の辻さんの御宅も、同じ青葉台のマンションにあったのです。元はナイジェリア大使館の大使公邸だったいう白亜の建物です。

あぁ、このマンション、松岡先生だけじゃなくて、辻静雄さんもお住まいなんだ。開高さん(作家・開高健)の「最後の晩餐 (文春文庫 か 1-5)」にある、あの晩餐会が行われてるんだ。僕にとっては、ギリシャの神々の神託を受ける、デルフィの神殿のような場所に思えました。

料理天国」という番組、覚えていますか?1975年からTBS系列で放送されていた料理バラエティ番組です。そこに出演し腕を揮う辻調の教授たちは、和、洋、中の一流の料理人。辻調では毎年ヨーロッパの著名レストランを周り、世界の最新料理情報を集めるというグランドツアーが行われていました。そこに参加したことのある、凄腕の料理人たちが最高の食材を使って料理を作り、ゲストが食べて感想を言う。一度でいいから、参加してみたかったと思う番組でした。

この番組と同じことが青葉台の辻邸で行われていたのです。この晩餐会は辻調の教授たちの腕を辻さんが試す場であり、ゲストに本当のフランス料理、中華料理、そして日本料理を伝える場だったと思います。

辻さんは古今東西の料理に関係する書籍の蒐集家として知られていました。特に古典フランス料理に関する稀覯本のコレクションは世界的なものだった言われています。

辻さんの生涯については、ノンフィクションライター海老沢泰久さんの小説「美味礼讃 (文春文庫)」(1992年刊)にくわしくあります。辻さんは1993年に60歳で亡くなりました。早過ぎ。早かった。早逝です。あのマンションも既にありません。

 

松岡先生の言葉に後押しされたにも関わらず、僕は結局、その時は辞めずに、勤め続けました。50代の入り口に二度目のタイミングがあり、そして三度目の正直ではありませんが、三度目のタイミングで辞めました。あの暑い夏の一日から25年以上の歳月が過ぎていました。 

松岡先生が監修された本「情報の歴史」。1990年に出版された大著です。(下段にあるのは1996年に出版された増補版です。1990年版は中古でしか手に入らない状態です。)無人島に流されることになった時、本を1冊だけ持っていけるとしたら、何を選ぶかという質問がありますが、僕はこの本を持っていきます。世界史と各国史と日本史を並列にして、さらに年表の中にトピックとなる見出しが入るレイアウトの妙。知らないことだらけ、です。刊行から既に30年近く経っているので、ぜひ追補版を出していただけたらと思います。

情報の歴史―象形文字から人工知能まで (Books in form (Special))

情報の歴史―象形文字から人工知能まで (Books in form (Special))

 

 

人間の脳をハードコピーすることは、今のところ出来ません。だから、その人が亡くなると、その人が知っていたことは失われます。人間関係も同じです。そこにあったものの重大さを知ってしまうと、失われたものの価値に初めて気づきます。

 

映画監督&俳優・伊丹十三さん、ドイツ文学者&評論家・種村季広さんと辻さんの鼎談の中で、種村さんの「食べ物(食べ方=料理法)のバリエーションは、コミュニケーションの量に比例する」との指摘に「知らないということは幸福なんですよ。情報を与えられるということが人間の不幸の始まりなんです。」と辻さんが仰っられました。そして、伊丹さんが「つまり、進歩、発達の始まり」だと。

そう、たとえそれが不幸の始まりだとしても、僕は知らないでいるより、もっとたくさんのことを知りたいと思っています。問題は、そのあとどうするか、ですかね。

 

SFとオルタナファクト

そもそも本離れが進んでいる中、SFという分野は絶滅危惧種になっているように思います。だからでしょうか、SFが好きだと言うとかなりのオタク感があります。そもそも、SFとは何か?サイエンス・フィクションの略というのが一番簡単な答えです。スペキュレイティブ・フィクション=思索的フィクション、という答えもあります。読み物としてのSFは廃れていく一方ですが、ハリウッド映画では次々と大作=お金のかかったSF作品が作られています。合成技術の進歩でどんなもので描けるようになっているからでしょうか。製作者の想像力の翼の広がりは、それこそ無限です。
しかし、大概、宇宙で戦う映画は婦女子受けしません。一緒に観に行ってもらえません。もちろんスターウォーズシリーズが好きだという女子もいらっしゃると思いますが。

僕の好きな映画監督の一人に、クリストファー・ノーラン監督がいます。作品としても、「インセプション(Inception)インセプション (字幕版)」「ダークナイトライジング(Dark Night Rises)ダークナイト ライジング (字幕版)」「インターステラー(Intersteller)インターステラー(字幕版)」がall time the bestに入ってきます。戦争映画ですが、次回作の「ダンケルクDUNKIRK)」にも大いに期待しています。なんたって、IMAX70㎜フィルム撮影ですからねっ。しかし、僕の周囲の婦女子にこの3本は全く評価されません。特に「インターステラー」は長くて理屈っぽい話と思われて、敬遠No.1の作品です。僕がハマる部分とクリストファー・ノーラン監督の作家性が鍵なのかもしれません。

 

さて、何故SFが好きなのか。中学校の図書室がスタート点になり、次々とSF作品に出会ったことがきっかけのように思います。体育館の1階の図書室でした。結構大きな図書室で、それなりに蔵書もあったように記憶しています。そこに早川書房の「世界SF全集」全35巻が置いてありました。司書だった国語の先生が担任だったこともあり、図書室に入り浸って全巻読破。海外の作家では、ジュール・ベルヌ(Joule Berne)やロバート・A・ハインライン(Robert A. Heinlein)、アーサー・C・クラーク(Arther C. Clark)。日本の作家では、星新一小松左京筒井康隆。他の作品に手が伸びていきました。

ついでの話ですが、この先生が16㎜フィルムの上映会を行いました。司書で視聴覚教育の担当だったのでしょう。映画は第二次世界大戦末期のソ連による樺太侵攻の話。当時の樺太の電信局の電話交換手の女性たちが戦火に倒れた「北のひめゆり」事件を描いた映画でした。僕も見ましたし、上映の手伝いをしたような。2学期になると、それが問題になったという噂が流れ、翌年、その先生は転勤。お辞めになったとも。なんだったのでしょうか。

この時の上映の手伝いがきっかけだったのか、自分でも映写機を操作してみたいと思ったようです。まだビデオのない時代(あるにはあったのですが、業務用と同じSonyのUマチック:知らないでしょう?)だったので、16ミリ映写機が学校にはあり、操作資格を持つ先生が1人はいました。この資格を持っている人がいれば、16ミリフィルムを借りて上映出来ることを知った僕は、文化祭で上映会を行うことを企画しました。中学校3年生でした。どうやってリストを手にいれたかは覚えていません。ちょうど「宇宙戦艦ヤマト」に入れ込んでいたのでアニメがいいと、「タイムボカンタイムボカン名曲の夕べ)」と「ミッキーマウス(のなんとか)」を借りることにしました。原資は一人あたり100円供出すると映画が見られると校内で口コミ宣伝して募りました。今で言うファンドです。しかも怪しい。(しかし、よく許されたものだと思います。どうやって許可取ったのだろう?)

タイムボカン」は制作のタツノコプロに直接、借りに行きました。当時のタツノコプロ三鷹の駅の前にあったように記憶しています(違うかなぁ)。そこまでJRではなく国鉄(まだそんな時代です)に乗って行きました。約束の時間までに余裕があったので、駅前の本屋さんに。そこで、グイン・サーガとの邂逅がありました。第1巻「豹頭の仮面(豹頭の仮面―グイン・サーガ(1) (ハヤカワ文庫JA))」、第2巻「荒野の戦士(グイン・サーガ 全130巻セット(ハヤカワ文庫))」。豹の頭を持つ超絶無敵の戦士グインを主人公として展開するヒロイックファンタジーです。作者の栗本薫さんは残念ながらストーリーはまだまだ続く130巻を書き上げることなく、2009年に亡くなりました。その後、複数の若手作家が続編を書くこと(ペリー・ローダン方式ですかね。どんな方式かって?説明は省きます。)になり、2017年3月現在で140巻まで刊行されています。グイン・サーガとの出会いが、その後のSF好き人生を決めたように思います。

最近では、とにかくSFと現実の境界線はどんどん薄まってきています。もし、現実がこうなったらと考えるような、ノンフィクションがフィクションを浸食しているのような、平行世界(パラレルワールド)的考え方が一般的になっているとも言えます。
だって、オルタナファクトという言葉は、もう一つの事実、現実があると言っていることですよね。
アメリカではトランプ大統領就任で先行き不安なタイミングになったのか、パラレルワールドものSFがフィーチャーされています。フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick)「高い城の男(高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568))」がAmazonビデオでドラマ化され、シーズン2に突入する人気、そしてジョージ・オーウェルGeorge Orwell)「1984一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫))」がAmazonの書籍売り上げのトップに躍り出たというニュースがありました。

僕の好きな=購読し続けている漫画「空母いぶき(空母いぶき 6 (ビッグコミックス))」かわぐちかいじ作、「クロコーチクロコーチ(17) (ニチブンコミックス))」リチャード・ウー原作、コウノコウジ作画、「へうげものへうげもの(23) (モーニングコミックス))」山田芳裕作、そして「アルキメデスの大戦(アルキメデスの大戦(6) (ヤンマガKCスペシャル))」三田紀房作のどれもが、現実にあったことを軸に、想像を膨らませている、パラレルワールドものの一種とも言えそうです。

僕の子どもの頃は、原子力を動力としたロボットが地球の危機を救い、クルマは自動運転でなおかつ空を飛んでいるバラ色の未来が描かれていました。しかし、2017年現在ではまだ原子力の安全性が問われ、クルマは相変わらず地上を走っています。予想外に発達したのは携帯電話(スマートフォン)。今後はスマートフォンを入り口にしてAIと繋がり、世界との接点になるのでしょう。
それは、まるでウフコック(「マルドゥック・スクランブル」2003年・冲方丁著に登場するユニバーサル・ウェポン。多次元構造を利用して何にでも変身、変化する。これの元ネタのアイディアが、ヒューゴ・ガーンズバック[Hugo Gernsback]かフレドリック・ブラウン[Fredric Brown]の作品にあったような。思い出せませんが。)のように手の中で何にでもなり得るのです。
でも、せめて自らでコントロール出来るものに変身させましょう。

トチローと僕〜帽子とマントを巡るスタイル考

松本零士先生の漫画に登場するトチローという人物、ご存じですか。短足、ガニマタ、近眼。松本先生曰く「メガネの怪人」だそうです。あまり誇れたものではありませんが、姿形に親近感を覚えます。特に、つばの広い帽子とマントを纏うと、他人とは思えない、少なくとも近親者なのではと思えてしまいます。

 

トチローは宇宙海賊キャプテンハーロックの親友であり、その乗艦アルカディア号の設計者、そして「銀河鉄道999」で旅をする星野鉄郎の手に渡り、数々の修羅場をくぐる際の相棒となった戦士の銃コスモドラグーンの設計者でもあります。作中で活躍するというより、回想されるキャラクターでした。

 

松本先生の漫画のキャラクターも、スターシステムっぽく、他の作品に登場します。トチローは1971年から1973年まで、講談社週刊少年マガジンで連載していた「男おいどん」の主人公、大山昇太(おおやまーのぼった)の系譜に連なります。「男おいどん」は、四畳半の下宿で極貧生活を送る若者を主人公にした青春群像劇。極貧と言っても、ギャグとペーソス(最近は使われなくなった言葉ですね)を交えたストーリーで、笑いと共感を得ていました。トチローは大山昇太の遙か未来の子孫と松本先生は語っているとか。

僕はこの漫画を、小学校の学級文庫にあった週刊少年マガジンで読みました。あの頃は70円か90円でしたかね。何故、学級文庫少年マガジンが、とお思いでしょう。そう、小学校3年生の時の担任が強烈な人でした。長髪。授業中ガムをかむこと奨励する(頭が活性化するという理由)、児童にたばこを校外に買いに行かせる(おつりをもらいました!栄養ドリンのリポビタンDも一緒に買うこともあり、それを一口飲ませてもらうのも楽しみでした!!)、学級文庫として少年マガジンを置く(考えたら自分の愛読書、読み終わったものを置いていただけかも)、など数々の所行が問題化して、PTAからの猛烈な抗議を受けていました。
しかし僕にとっては、“学級文庫”にあった週刊少年マガジンは、新しい世界への入り口でした。その頃の少年マガジンは、今でしたら青年誌のようなラインナップを誇っていました。テレビアニメとは異なる血みどろの「デビルマンデビルマン (完全復刻版) 全5巻完結 [マーケットプレイス コミックセット])」、自由律の俳人種田山頭火を主人公にした漫画(「ヒッピー俳人山頭火」というタイトルで、作者は旭丘光志さんという方らしいのですが)、「天才バカボン天才バカボン (1) (竹書房文庫))」、「空手バカ一代空手バカ一代(1) (講談社漫画文庫))」、「あしたのジョーあしたのジョー 文庫版 コミック 全12巻完結セット (講談社漫画文庫))」に出会いました。ご存じかと思いますが、「空手バカ一代」は極真空手の始祖大山倍達の修行期の実録漫画です。(この実録というのは多少怪しいのですが、それはまた別のところで。)大山倍達が傷を癒やすために温泉に入っていると、太極拳の使い手が高い位置から飛び降りてきながら、こう叫ぶシーンが忘れられません。「太極拳の奥義、ナントカ(ここが覚えていない!)を見て死になさい、大山!」どんな技だったのでしょうか。つのだじろう先生(「うしろの百太郎」怖かった。うしろの百太郎全6巻完結(ワイド版) [マーケットプレイス コミックセット])の絵が思い起こされます。太極拳とは殺人拳法だと記憶してしまったので、後年、街で健康のための太極拳教室の看板を見、そこに出入りする老人たちを見かけると、あの人たちは恐ろしい拳法を学んでいるんだと戦慄を覚えたものです。

2~3年後になりますが、永井豪さんの「イヤハヤ南友(イヤハヤ南友 (1) (扶桑社文庫))」(1974-1976)という漫画がありました。ご存じですか。後の「けっこう仮面けっこう仮面 [コミックセット])」(1974-1978)につながるエログロ満載のギャグストーリー漫画です。この作品で“三角木馬”というものの存在を初めて知りました。忘れられない!

少年マガジンは定価が10円づつ値上がりしたように覚えています。150円か170円になるまで、読み続けました。

帽子は元々好きでしたが、最近は若い人が帽子をかぶるので、昔からの帽子屋さんだけではなく、ファッションを意識した帽子屋さんも増えてうれしい限りです。冬の帽子も、UNIQLOのものからボルサリーノのものまで、いくつか取り揃えています。夏は日本の夏の日差しを避けるため、冬は寒さを避けるため、帽子をかぶること無しではいられません。冬のヨーロッパ、特にスイスの山岳地帯やロンドンに滞在した時などは、フェルトの帽子が手放せません。今日の服装にはどの帽子がいいか、毎朝悩みます。
現在の副総理兼財務大臣の麻生さんの、長めのコートに帽子と白いマフラー姿はまるでイタリアの悪い人(イメージ)のよう。外遊時、政府専用機から降りていらっしゃる姿なんて最高です。
それにマント。だいたいマントなんて持ってるの?と訊かれそうですが、そうです。持ってます。あるパーティにお呼ばれした時に、服装の指定がブラックタイでした。その場合のコートをどうしようかと一思案。その頃は長髪でしたので、帽子はなし。そうなるとやはりコート。会場のコンラッド東京まではタクシー、でも降りてから会場までは歩く。帰りのことも考えるとやはりコートは必要。持っているコートではスタイルとしてのインパクトに欠ける。で、思いついたのがマント。
ちょうど男性ファッション誌で見たマントが気になっていたので、輸入元に電話すると、銀座の英國屋か和光で扱っていることがわかりました。オーストリアのシュナイダーというブランド。ローデンクロスという、ウールの脂分を完全に取り除かないように洗って、天然アザミでブラッシングした生地。正式な場に着ていける外套です。布一枚なのですが、意外に暖かい。ただ、地下鉄の出入り口など、風が強いところで、思いっきり、吹き上がります。女性がスカートの裾に気をつけるタイミングを思い知らされます。それに乗り物に乗って、座る時、そして立つ時の所作がわからない。タクシーから降りる時、裾を踏んづけました。
マントと言えば、イタリアの国家治安警察隊カラビニエリ(Carabinieri)の制服、冬の外套はマントです。赤と黒の制服にマントは、誠にカッコよい。「進撃の巨人進撃の巨人(22) 通常版: 週刊少年マガジン)」(2009-)の兵士たちもマント姿。

空気も重力もない宇宙空間にいる時でさえもマントが翻っていたキャプテンハーロック。トーガ(貫頭衣かな)のようなワンピースを身に纏っていたジェダイの騎士たち。宇宙を縦横無尽に飛んでいるのに。機能性を追求して服装を考えると、もっと相応しい外套はいくらでもあります。例えば、耐寒性を考えればダウンの入ったものがその代表です。確かにダウンは暖かい。UNIQLOのダウンは安くて暖かい(毛皮が一番という意見もありますが)。でもね、礼服にダウンはないですよね。スーツの時もダウンはないなぁ。そこは譲ってはいけない線があると思っています。   

SF映画に登場する未来の服装は、なんだかツルツルした布地の全身タイツみたいな服装がイメージされます。ジャンプスーツかな。1970年代から1980年代に一世を風靡したファッションデザイナー、ティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)は宇宙的デザインと言われる服を発表していました。「なるほど!ザ・ワールド」司会の楠田枝里子さんが着ていたような。今となっては昔の話。

アラビアの男性は白いワンピース(でもないけど)を着ていますよね。カンドゥーラとかトーブ(ソーブ)という民族衣装。サウジアラビアに行った時、ホテルのアーケード街を覗いていたら、イタリアのデザイナー、ジャンフランコ・フェレ(Gianfranco Ferre)のオーダーメイドのカンドゥーラブティックがありました。さもありなん。同じように見えて、彼らは生地から選んで自分なりのものを作るのだそうです。

トチローはマントの下に何を着ているんだろう。少なくともツルツルの生地のジャンプスーツではないでしょう。そんな未来はイヤです。

日記はだれのためー松任谷さんのことから

「散財日記」という連載が雑誌MEN'S CLUB(最初はMEN'S EXの連載だったかと)にあります。そうユーミンこと松任谷由実さんの夫、アレンジャー、キーボーディストの松任谷正隆さんがお買いになったものを報告されている企画です。(現在は「[続]僕の散財日記」というタイトルです。)さまざまな特注の結果などを、ご自身の反省を虚心坦懐にさらしていらっしゃいます。実に同意できることが書かれています。尊敬の念を禁じ得ません。このブログ、松任谷さんの「散財日記」を意識しています。

僕の散財日記 (文春文庫)

僕の散財日記 (文春文庫)

 

 

ご夫婦のファンである僕は、自分のクルマ遍歴の中に、松任谷さん(以降、正隆さんを「松任谷さん」、由実さんを「ユーミン」と書かせていただきます。)と同じクルマを所有し、そして同じような苦労を経験したというという歴史があります。そのクルマは、アルファスッド(Alfasud)。名前に「スッド(Sud)=南」と有るように、アルファロメオが貧しいイタリア南部のためにナポリ郊外の工場で生産したクルマです。スバルの水平対向エンジンをパクったエンジンを搭載していました。音はよかったですよ。しかし、品質は最低。鉄板の錆加工が悪くて、すぐに錆びる。もちろん僕のスッドも、たしか2人くらいの人の手を経たクルマで、比較的状態はいいクルマでしたが、後ろの窓枠あたりからの腐食が酷く、雨漏り対策に追われておりました。ほかには東関東自動車道を驀進していて、小雨が降り始めたのでワイパーを動かしたところ、突然ワイパーの根元が折れ、カランカランと音を立てて、ワイパーが吹っ飛んでいったことを覚えています。見事にワイパーの根元が腐っておりました。このクルマで、クルマに自分で手をかける練習と思っていましたが、あきらめました。世界的にも生産台数は多いが、残存台数の少なく。デロリアン(De Lorean DMC-12:ご存じBack to the futureに登場するタイムマシンになったクルマです)などと同列の欠陥車の筆頭に挙げられています。僕のアルファスッドは、忘れもしない、イギリスのダイアナ妃の来日(5/8)をあさってに控えて、警備の警官がたくさん立っていた1986年5月5日、青山通りの追突事故で廃車になりました。事故直後、路肩に移動させた直後に警官が寄ってきました。「早めにどけてね」と頼まれことを覚えています。

職権乱用 (CG BOOKS)

職権乱用 (CG BOOKS)

 

 

僕は年齢的にも、まさにユーミン世代です。僕的には以下の5枚のアルバムの時期が絶頂期です。松任谷さんが、音楽制作にシンクラヴィア(Synclavier:現在のデジタルオーディオワークステーションの元祖)を使いはじめた頃です。この時期、コンサートの切符を手に入れるために東奔西走したことを覚えています。逗子マリーナのサーフ&スノーにも行きましたし、代々木体育館でのコンサートにも連続で通いました。以下の5枚のアルバムの収録曲は、今聴くと、ちょうどバブル期の終わりと重なって、いろいろことを思い出させます。僕はいつの間にか、卒業してしまったのでしょうか。

1987年12月5日発売「ダイアモンドダストが消えぬまに」

1988年11月26日発売「Delight Slight Light Kiss」

1989年11月25日発売「LOVE WARS」

1990年11月23日発売「天国のドア」

1991年11月22日発売「DAWN PURPLE」

松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤)

松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤)

 

 

由実さんはテレビに出て歌うことが当時は滅多になかったのですが、テレビでのお姿で覚えているのは「天国のドア」に収録されている曲「SAVE THE SHIP」が流れた番組「ロシアの風・宇宙の風・ユーミン」(凄え題名!)。この曲が、TBSの創立40周年記念事業として宇宙にジャーナリストを送る「宇宙特派員計画」のテーマ曲でした。社内選考の結果、記者の秋山豊寛さんが選ばれ、日本人初の宇宙飛行士として、8日間宇宙に滞在しました。その番組の中で鮮烈に覚えているシーンがあります。秋山さんの乗ったソビエトの宇宙船TM-11がカザフスタンのバイコヌール(別名、星の街)宇宙基地から打ち上げられる光景を見ていたユーミン。発射台を望む丘の上で、発射の際の周囲を支配する絶対的な轟音の中、何故かユーミンは絶叫していました。そうせざるを得ないという言わんばかりに叫んでいたことだけを覚えています。(この企画でTBSはソビエト連邦宇宙総局におよそ20億円支払ったそうです。)
NHK技術研究所の8K公開で、宇宙船の打ち上げを記録した8K映像を見たことがあります。その轟音を聴いた時に、なんとなくユーミンの絶叫に至る気持ちの一端が理解できたように思いました。


毎度脱線しますが、ある仕事でこの当時のバンドのギタリスト市川祥治さんとご一緒しました。駐車場でいらっしゃるのを待っている時、アルファ164が入ってきたのを遠くに見て興奮しました。当時のコンサートパンフレットにあったメンバー紹介の写真は、それぞれの愛車を並べてのものでした。それを見て市川さんがアルファ164にお乗りと知っていたからです。松任谷さんも164をお持ちだったと記憶しています。安心して乗ることが出来るアルファロメオが登場した頃の思い出です。

 

僕は、いわゆる日記文学が好きです。歴史年表を眺めるのも大好きです。最近の雑誌にたまにある、著名人の今月の日記みたいな企画も大好きです。でも、日本古来の日記文学、例えば「土佐日記」」やら「紫式部日記」などは、学校の古典の授業でカバーされたわずかな部分しか触れたことはありません。傾向として昭和初期以降の人か、現代の人のものに惹かれます。そんな中で、僕がたまに読み返す日記がいくつかあります。

1930年代の代表的なコメディアン古川ロッパの日記「ロッパの悲食記 (ちくま文庫)」(食に関することだけをまとめたものです。日記は年別に出版されています。)は、戦前から戦後にかけて、どんなものが食べられていたか、食べたかったのか、つぶさにわかって興味深い本ですが、題名の通り、ちょっと悲しいというか侘しくなる日記です。

今や陶芸家(ご先祖がご先祖ですものね。家に持っていらっしゃるものが国宝級。それを子ども頃から見て育っているし。)として名を成していらっしゃる第79代日本国首相の細川護煕さんが在任中に書き留めていた日記「内訟録―細川護熙総理大臣日記」は、冒頭のマクベスの引用から始まるところが気に入っています。

第43代アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)時代の第20代国家安全保障問題担当補佐官、そして第66代国務長官と8年に渡り外交の重責を担ったコンドリーザ・ライス(Condlerzza Rice)さんの「ライス回顧録 ホワイトハウス 激動の2920日 (No Higher Honor: A Memoir of My Years in Washington)」にある2001年3月11日の記述に当たると、この分厚い本を読んだ甲斐があったと感じます。

日記は記録と言えば記録だし、客観的かと言われれば、そうでもないし。事実というより、その人が見た、言い方によってはバイアスのかかった“事実”が遺されている文章です。芥川龍之介の「藪の中」ですね。一方で例えばアメリカ人は記録好きなのでしょうか。第二次世界大戦時には、日米の戦いをカラーフィルムで記録するチームを編成され従軍していたり、大統領が重大な判断を下す時に必ずカメラマンが入って、写真が撮られたりします。どれも公開前提の公的記録としてのものでしょう。(そして政府要人は、私人に戻った後、日記や回顧録を出版して、その公的記録に多元的な視点を加えます。莫大なお金と引き換えに。)

松任谷さんの著書「僕の音楽キャリア全部話しますー1971/Takuro Yoshida-2016/Yumi Matsutoyaー」は、当然ながら「散財日記」と異なる雰囲気で、ご自身やユーミンの音楽活動のハイライトや、悔恨が混じった思い出もインタビュー形式で綴られています。日記ではありませんが、一種の編年体で離れて行った人や失敗したこともサラっと書いてあります。あくまでも松任谷さんの目を通して見た事実として。

僕の好きなユーミンの曲に「時はかげろう」という曲があります。時(時間)はすぐに移ろい逝くもの。日記は自分が何かを感じ、経験したことをそこに流れる時間とともに定着させたくて書くものだと思います。でも記録されたとは言え、その儚げなことは変わりません。誰かが定着させる努力をしないとすぐに逝ってしまう時。人の日記に惹かれる理由はそこにあるのかもしれません。

僕の音楽キャリア全部話します: 1971/Takuro Yoshida―2016/Yumi Matsutoya

僕の音楽キャリア全部話します: 1971/Takuro Yoshida―2016/Yumi Matsutoya

 

 

訪れるべき、とは?〜長逗留の憧れ〜人も宿も進化する

「アイディアは移動距離に比例する」という言葉。最近ではハイパーメディアクリエーター(というより女優の沢尻エリカさんの元結婚相手という“肩書き”のほうが有名な)高城剛さんの言葉となっていますが、僕は、イタリアの小説家、哲学者ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)の言葉を高城さんが引用したように記憶しています。(でも、このエーコの元の言葉がどうしても見つけられません。エーコの著作全部を当たったわけではないのですが、いったいどこで語った言葉なのでしょうか。)

 

飛行機や新幹線などの高速で移動する交通機関だけではなく、ローカル線の各駅列車や地方都市のバスに乗っても、目にするものから連想して、いろいろなことを考えます。確かに、僕程度でも何かアイディアが浮かびます。すぐに忘れてしまいますが。夢みたいなものですかね。
さて移動距離と言えば、旅です。毎年、夏休みにどこに行くか。何に乗って行くか。悩むのも楽しい。ANAマイレージを真面目に貯めているので、年末にマイル修行もしています。日帰りの石垣島(正確には羽田空港石垣島空港ー羽田空港)や札幌(羽田ー新千歳ー羽田)もそれなりに楽しい。今年16年目にしてやっと初めて、会員ステータスがダイアモンドになりました。うれしっ!

パラダイス山元の飛行機の乗り方

パラダイス山元の飛行機の乗り方

 

 

ジェット・セッター(Jetsetter)という言葉があります。タキ・テオドラコプロスというギリシア人の作家が「ハイ・ライフ」というセレブリティ・ライフに関するコラムの中で紹介し、世の中に知られた言葉です。飛行機(自家用機の場合多し)で世界中を飛び回り、夏はイビサIbiza:スペイン)、冬はグシュタード(Gstaad:スイス)などの観光地を訪れ、お金を使いまくる生活を送る人々のことです。時代がかった訳では「ジェット族」と称されておりました。タキ自身もセレブリティ。でも「セレブ」ではなく、まだ「上流階級」という言葉にリアリティがあった頃、1980年代の話です。(この本、今となっては昔の話、なのですが面白い本です。なかなか手に入りませんが。)

ハイ・ライフ (知恵の森文庫)

ハイ・ライフ (知恵の森文庫)

 

 

昨今、ジェット・セッターは絶滅危惧種で、どちらかと言うと、パーマネント・トラベラー(Permanent Traveler:またはPerpetual Traveler)という存在に、その立ち位置を奪われてきています。パーマネント・トラベラーは、各国に居住者として見なされない期間だけ滞在し、その国家に税金を合法的に支払わない、もしくは納税する額を最小にする方法を駆使しながら、世界を移動している人々です。税金逃れの富裕層という見方もあります。ジェット・セッターに比べると、ちょっとケチ臭くなった感もあります。

プライベートバンカー カネ守りと新富裕層
 

 

さて、冬もそろそろ終わり。そして間もなく、蟹、それもズワイガニのシーズンが終わってしまいます。その前にと、ズワイガニを食べるために北陸に参りました。当然、往復は飛行機。羽田から小松空港までは飛行時間1時間弱。前述のように、ANAマイレージのステータスがDIAになって初めての旅でした。搭乗ゲート通過の際の電子チケットの読み取り完了音(?)が、DIAは違うことを初めて知りました。

泊まった宿は山代温泉の「べにや無可有(以下、無可有と書かせていただきます)」さん。小松空港からクルマで30分、JR加賀温泉駅からは15分くらいのところにあります。橋立の鑑札付きの蟹をたんまり食べて、温泉に出たり入ったり(入ったり出たり?)の一泊二日。こちらには、今回も含めて、都合4回お世話になっています。90年代、00年代、それからここ最近です。同じ宿に何度か泊まると、その宿の“進化”を感じとることが出来ます。

毎度ながらちょっと脱線すると、何度も同じ宿に泊まるのも、意外に難しいものです。ビジネスホテルではないので、連れが必要ですから。
ずいぶん前ですが、箱根の強羅花壇(ごうらかだん)に一ヶ月の間に二度、泊まった時は、連れが違う人でしたので、初めてのフリをするのに大変でした。最近、三度目に宿泊したときは知らんぷりせずに、素直に過去の訪問歴を白状しました。また、北海道洞爺湖(とうやこ)の「ザ・ウインザーホテル洞爺」にも二度、泊まったことがありますが、同じ経験をしています。この時はなんとか誤魔化せたように思いますが。

今や、箱根を代表する宿となった強羅花壇の躍進は、本館を今の形にした1993年以来のことでしょう。前職がイタリア語通訳で、仕事柄、豊富な旅行経験を持つ、つまり「旅人」である、現在の女将である社長さんが手がけたそうです。わざわざ足を伸ばしたい宿を見てきた人が、わざわざ訪れたい宿を作ったのです。内装を建築家の竹山聖さんが手がけました。そして、無可有の女将がその写真を見て、1996年から始めたリノベーションのプランニングを竹山さんに依頼したのだそうです。ちなみに、僕が最初に無可有に泊まったのは、強羅花壇と同じ建築家が関わった旅館があるんだ、というくらいのミーハーな理由だったと思います。

最初の2回の宿泊について、実はあまり記憶がありません。ご飯がおいしかった記憶があります。確か、お部屋での食事、いわゆる部屋食でした。部屋食の利点は終始、部屋から出ないで済むこと。欠点はご飯の前後に部屋を片付けるので、なんだか落ち着かない時間が出来ることです。

で、ここ2年ですが、続けて宿泊させていただいて、無可有は無可有ならでは立ち位置にある、言い換えれば「無可有ブランド」が出来上がった、と感じました。上から目線で恐縮ですが、素晴らしい“進化”を見ました。システム上の違いは、特別室以外は部屋食ではなくなり、食堂での夕食、そして朝食となっていたことくらいでしょうか。でも、根本的に無可有は、単なる温泉旅館ではなくリゾートに進化していました。「リゾート」という言葉の原義「何度も行く場所」というくらいに、次も訪ねたい、そして連泊したいと思わせる宿になっていました。旅の目的は、蟹を食べるためだけではなく、温泉に入るためだけではなく、べにや無可有を訪ねること。

働く皆さんのホスピタリティも特筆すべきものがあります。今回は、蟹剥きの極意を教えていただきました。来年は、蟹剥き1級のテストに挑戦しようと思っています。(注意:そんなテストはありません。そんな気持ちになるのです。あしからず。)

そうそう、連泊と言えば、最近では4泊した方もいるそうです。4連泊を受け入れるって、大変ですよ。夕食に同じものは出せないし。また料理と言えば、ベジタリアンのお客さまも受け入れ経験があるとのこと。宿としての確固たる意志が必要です。

べにや無可有も強羅花壇も、ルレエシャトー(Relais & CHATEAUX)という、フランス発のホテルとレストランの協会組織に加盟しています。世界60カ国以上、およそ550のホテルが加盟しているそうです。厳しい審査を経た加盟ホテルを紹介しているガイド本を読むと、次々と泊まってみたいと思わせる楽しい悩みを発生させます。

ガイドと言えば、ご存知ミシュランミシュランガイドはタイヤの販売促進のため、クルマで訪れるべきレストランを紹介したことが始まりです。そして、評価を表す星の意味は、最高ランクの三ツ星ともなれば、何かのついでに寄るのではなく、そこを目的地として、わざわざ訪れるべきレストランであるということ。訪れるべきとは、経験すべき場所ということです。

僕は湯治場への長逗留に憧れがあります。一度、やってみたい。温泉に好きなだけ入って、日がなうとうとして過ごす。これが具体的に、べにや無可有に長逗留してみたい、という憧れに変わりました。

アイディアは移動距離に比例するのでしょうか。証明したいと思います。

冬の散財感想戦 (3)靴編

映画「 64」、ご覧になりましたか。刑事上がりの広報官である主人公が、キャリアの県警本部長から靴の光り方が足りないので、嫌味を言われるシーンがあります。靴を自分で磨くのか、奥さんに磨いてもらうのか。はたまた、最近増えた、おしゃれ靴磨きさんに頼むのか。(このシーン、TV版にあったかなぁ。ピエール瀧さん、よかった。もっとも電気グルーブのステージの上の彼を見たことがあると、この人、テレビに出ていいのかしらと思う今日この頃です。)

64(ロクヨン)

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64-ロクヨン-前編 通常版DVD

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64-ロクヨン-後編 通常版DVD

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さて、靴磨きを常習化するには、何が大切がご存知ですか。そう、マスト要件は靴を磨きやすい玄関です。長時間の作業に耐え得る環境が必要なのです。何せ、お腹が出ていると、前屈姿勢を長く続けるのは、とても苦しいので。残念ながら、僕の家の玄関はちょっと厳しい。もちろん、ご自分のdenで磨く方には関係ない悩みですが。よって、僕は靴磨き屋さんにお願いする一方です。

 

元々、靴を持ち過ぎなのでしょう。 ジョン・ロブ(John Lobb)を2足、WilliamとWilliamのブーツは東京で買いました。両方、黒。オールデン(Alden)のコードバンのチャッカーブーツを2足。黒は東京で買いました。茶色はハワイで買いました。ご存知かと思いますが、あの常夏の楽園に、よい革靴屋さんがあります。真夏のハワイ、冷房の効いた室内で、Aldenコードバンを試し履き。ちょっといいですよ。なんと言っても安いのです。ハワイで買うと。

Berrutti(ベルルッティ)を1足、これはカンヌで買いました。そして ジェイ・エム・ウエストン(J.M.Weston)を3足。この道に入ったきっかけは WestonのGolfのブーツを買ったこと。黒でした。1996年のことです。日本向けの特注品だったようです。2回直して履いてます。

1997年にパリで買い足した黒のGolfは、まさにハードフィッテング時代(注・僕的命名)のWeston経験でした。超ピッタリのサイズを出してきて、その上、ぐいぐい靴紐を締め上げてきます。この古のWestonのフィッテング、松任谷正隆さんや波多野聖さんこと藤原敬之さんも書いています。福田和也先生は買いてたっけなぁ。

 

贅沢入門

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「贅」の研究

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カネ遣いという教養 (新潮新書)

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僕の散財日記 (文春文庫)

僕の散財日記 (文春文庫)

 

 

履いて歩いた日、足が痛くなるだけではなく、途中で頭がクラクラするくらい痛くなりました。さらに靴擦れ。しばらく履かずに放って置いた程です。でも懲りずに、茶色のGolfをカンヌで2010年に買いました。パリで貰った、僕のサイズを書いたカードを持っていたので、それを見せて書いました。この茶色はあまり問題なく、足に合いました。違いはなんでしょうかね。最近のパリのWestonでは、厳しいフィッテングでは無くなったようです。

前口上が長くなりました。夏以降に買った靴は5足。意外に少なく。その中で、旅のために(と称して)買った靴が2足あります。

Westonのハードフィッティングからの連想ではないのですが、日本人は足が浮腫みやすいと言いますが、朝と晩を比べても、足の大きさがずいぶん違うのでしょうか。なので、飛行機から降りる時、堅い靴だと入らない。着陸姿勢に入るタイミングで必ず靴を履くようにしているのですが、その時に全く足が入らないことがあったのです。旅のお供として最近は、ニュー・バランス(New Balance)の1400を履いていました。United Arrowsの創業25周年記念版モデルでナチュラルブラウンです。グローブのようなよい革です。

でも、毎度の悪い癖で、移動用の靴を1足増やしたいと思っていたら、GQで「羽(PLUME)」という名前の靴を発見しました。元々はリボンメーカーだったスイスのブランド、バリー(BALLY)の靴。どちらかと言うと、自分の年では選ばないブランドだと思っていました。でも足を入れたら最高!(自分でも分かっている悪い癖なのですが、試着または試し履きすると買ってしまうのです。危険。)カンガルーレザーでスニーカーのような軽い靴です。銀座の東急プラザで買いました。このお店の靴コーナーには、素晴らしい靴磨職人がいらっしゃいます。靴に対する愛情が溢れています。この初めてのBally、初夏のサンフランシスコへの旅で履いて行きました。勿論、帰って来てから、磨いていただきました。

HERMESエルメス・正しい綴りは「E」にアクセントがつきます)で買ったのはスリッポン、名前は「milano」。薄いソールの軽いスリッポンです。これを買いたいと思ったのは、秋口でした。ちょうどヨーロッパに行く用があったので、現地での値段を調べると、ポンド建がいちばん安いこともあり、ロンドンで買うつもりで臨みました。

日曜日のロンドンのエルメス。確か、いちばん面積が大きいニューボンドストリート店。しかし店内は、中国語を話すお客さんで大童。中国語を話す店員さん以外の店員さんにも話しも出来ません。そこで、レジ担当のお姉さんのところに行きました。探しているモノのがあるんだけど、と言ったら、「私は接客できないわ、でも誰も対応できないわね。日曜はいつもこんな感じなのよ」。イギリスでの品番がわかっているので、お店にあるかどうか見てもらえないか頼みました。結果的にはイギリスのエルメスでは、僕に合うサイズが既に売り切れ。日本に戻ってから、銀座で買いました。初めてのエルメスの靴、オーストラリアへの旅に履いて行きました。

 

老舗の流儀 虎屋とエルメス

老舗の流儀 虎屋とエルメス

 

 

この2足は僕の服飾文化(!?)に革命的な影響を与えました。パンツの丈です。最近の裾上げ業界 (そんなのあるんかい!)では、「ワンクッション」」という概念が消えつつあります。脛が見えるのが嫌いなので、夏でも所謂ハイソックス(ホーズですね)を履いている僕は、今迄、トム・ブラウン(Tom Brown)のようなツンツルテン感満載なルックは、「ちょっと勘弁してねぇ、服はいいけど」でした。しかし、この2足のソールの薄い靴は、踝辺りにストンと落ちた感じの丈を要求します。そして僕は屈しました。あらゆる意味で、革命の夏でした。

第89回アカデミー賞授賞式では「La・La・ Land」主演の2人、ライアン・ゴズリングエマ・ストーンが踊っているシーンが度々、フィーチャーされていました。軽やかなステップ。2人の足元はどんな靴なんだろう。

春になり、また旅をする頃になると、新しい靴を買ってしまいそうです。

春の波濤(2)

先週末は、もう一つ、波乱がありましたね。村上春樹さんの新作「騎士団長殺し」の発売(2月24日金曜)と小沢健二さんの「ミュージックステーション」(2月24日金曜20時から放送)の出演。

あぁ、これを書くと、バブル世代の話題だからねって、言われてしまうかもしれませんが。

「騎士団長殺し」の内容とレビューは、たくさんの方々が書かれていますので、そちらをご参考に。僕はまだ読み終わってないので、ネタバレもしません。ご安心を。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

NHKの軟派(になってしまった)ニュース解説番組「クローズアップ現代+」の2月23日木曜放送回で『新作速報!村上春樹フィーバーに迫る』 (このタイトルのつけ方、なんとかならないのでしょうか。「フィーバー」って何?)を見ました。

番組中、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」への書評に『「風の歌を聴け」を読んで、あまりのおシャンティーぶりに血の気が引きそうになったのを覚えております』とお書きになり大きな話題になったというアンチハルキスト(この名称もなんだかなぁ)が取材されていらっしゃいました。ちょっとした違和感が。いや、この方の考えについて違和感があったのではなくて、取り上げ方に、です。

風の歌を聴け (講談社文庫)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

風の歌を聴け」って、オシャレな話かな。映画を観たことあります?あれを観ると、バブル期真っ只中に大学生から就職期だった僕でも、一世代前のことで、なんてカッコ悪い服を着ていた時代なんだろうと思っていました。「おシャンティー」とは2005年頃から使われている言葉で「オシャレ」を意味する言葉だそうですが、全く「おシャンティ」とは思えない。だって、1970年の話ですよ。全共闘世代。フライフロントの喇叭ジーパンを履いていましたよ、「僕」役の小林薫さん。映画の色調も昔っぽくて。監督は大森一樹さん。ちなみに「鼠」役は巻上公一さん。ヒカシューというテクノポップ(というかニューウェーブ系というか)バンドのボーカリスト。劇中に登場する、鼠が作った8ミリ映画を実際に撮ったのが知り合いだったこともあり、レンタルビデオ(!)を90年代に借りて観ました。

番組ディレクターとプロデューサーは、それぞれ何歳の人だろう。何かを一括りにして考えているような気がする。

「騎士団長殺し」、今週末に越前に蟹を食べにいくのですが、その道中に読むとしましょう。

 

ミュージックステーション」に小沢健二さんが20年ぶりに出演して歌うというので、正座をしてテレビの前に。ではなく、生で観るのを忘れました。今週になってから、録画を拝見。魂消た魂消た。サイモンとガーファンクル(Simon & Gafunkel)の曲、「Late In The Evening」(1982年、後楽園球場でThe Concert in Central Parkと同じセットリストで演奏した際のアンコール曲。ドラムのスティーブ・ガッドのグルーブ感の凄さに、3階席から転げ落ちそうになった思い出の曲)のイントロと間奏を引用している懐かしの「ぼくらが旅に出る理由」から続けて、新曲「流動体について」を歌うのですが、途中からこれはもしや惨劇かと思ってドキドキしました。発売前からサビのフレーズ「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」の上昇メロディの裏声が微妙でしたが、生歌では、超超微妙。ネットでの反響がたくさん上がっています。神回とか言っている人は年齢がバレますよね。そうそう、叔父さんの小沢征爾さんにお顔が似てきました。

演奏もカラオケ感あったけど、ソロのギターの頑張り方、ちょっと良し。あのストラトって、昔も弾いてたヤツかしら。

流動体について

LIFE

セントラルパーク・コンサート [DVD]

フリッパーズギターのライブを見られなかったことは、バブル期最大の残念の一つです。当時、地方に住んでいたので。カッコよかったのよ。疾走感という言葉があるけど、まさにその疾走感が音にありました。

ヘッド博士の世界塔

小沢健二さんで思い出すのは、麻布十番のイタリアンレストラン(&ワインバー)、「ヴィノ・ヒラタ(VIno Hirata)」での目撃譚。深夜、テーブルを挟んで、女優の深津絵里さんが一生懸命喋っているのに、文庫本(岩波文庫の何かだっと記憶しております。よりによって岩波文庫。ハトロン紙もかかっていたような)を片手にした小沢さんは、ふんふんと何だか生返事をしていたのを目撃したことを思い出します。お目々クリクリの深津絵里さんの美しいことったら!

このお店は2階なのですが、3階には「クチーナ・ヒラタ」というイタリアンレストランがあります。ヒラタさんというオーナーシェフ(英、仏、伊がゴッチャですいません)がいらっしゃいました。「ヴィノ・ヒラタ」は、その“セカンドライン”の店ということでしょうか。

「クチーナ・ヒラタ」と言えば、メニューがなく、マダムが口頭で説明することで知られておりました。その何が珍しいって?あなた、イタリア料理のコースを前菜(アンティパスト)から、プリモ・ピアット(Primo piatto)、セコンド・ピアット(Secondo piatto)と全部、口頭で説明されてご覧なさいよ、それも25年以上前に。知らないモノばかり。だから聞いても覚えられない。マダムの口調がちょっと厳しい感じでね。余計にアガっちゃうわけですよ。なので、大体、それぞれの最初のモノを注文しちゃうのよ。

「ヴィノ・ヒラタ」は2017年の今も健在です。相変わらず何を食べても美味しい。お料理も勿論ですが、季節を生かしたドルチェも素敵です。毎度、2、3種類食べてしまいます。お店の自家製リモンチェッロ、いいですよ。最近は伺っていませんが、「クチーナ・ヒラタ」も、ヒラタご夫妻の手を離れたようですが、健在だそうです。

今日、買いましたよ「流動体について」。最近は滅多にTower Recordsに行かないので、入るだけでアガっちゃいました。カラオケで歌えるように練習しましょう。昔を思い出している曲だから、おじさんは歌わなきゃ。やはり、サビの裏声を忠実に再現しないと。

景気の袋小路感が強いせいなのか、バブル期に関する毀誉褒貶話が最近、多いように感じます(いや、別にバブル期の擁護をする立場には無いのですが)。回顧録や、秘録というかあの時には言えなかった“真相”を書いた本もたくさん出版されています。そんな中で、結果的に計ったような同時期に村上春樹さんと小沢健二さんの新作が出ました。

既に、それぞれに関して百花繚乱の程で、意見が出ています。文字通り毀誉褒貶。それはいいのです。でも批評のバックグラウンドとしての1970年から2000年までの日本、東京のことを全部ごっちゃにしているような人が多いように思います。学校の歴史の教科書で、近現代史がほんの数ページしか記載が無いから、ほとんど勉強してません、みたいな感じ。大波が来たことは知ってるけど、どんな波だったかは知らないなんて、次に大波が来ても乗ることは出来ませんよ。

春の波濤」は1985年のNHK大河ドラマ。日本の女優第一号である川上貞奴松坂慶子)を中心とした群像劇です。視聴率が低くかったことと著作権侵害裁判でも知られている作品です。やっとDVD化されたようです。ドラマ自体には特段思い入れがあるわけではないのですが、タイトルが好きな大河ドラマです。

波濤とは畝る大波のこと。そんな波に乗るには、手前に迫る波を越えてポジションを取らないと。