これって本当?〜物差しのない批評は意味無し

ブログなど、インターネットで意見を公開している人の目的の一つは、イチャモンを公開することによって、溜飲を下げるという効果を求めていると言っていいかと思います。でも人を切ると、返す刀で自分が傷つくことがあります。インターネットで調べ物をしていると、そのことに関連するブログ、それも一般の皆さん(私ももちろんその一人です)のブログやSNSを見て、おいおい何言ってんだよ、と思うことが多いので、私もそこに着目して、憂さ晴らしをさせていただこうと。

まずは素人さんの例ではないのですが、プロなのに事実確認が素人並以下という話。Instagramでフォローしているアカウントの一つに、某Tカレンダーというグルメ雑誌(かなぁ。妄想ヨタ記事雑誌かなぁ)があります。しかし、ここ最近、間違いというか適当な記事が多くて、見るのが楽しいのです。
麻布十番にある甘味屋の出汁巻卵(もどき)を挟んだサンドイッチについて、「昭和7年創業当時から提供を続けるテッパン手土産」と書いてあるのですが、そもそも昭和7年頃に出汁巻卵という料理は存在していないでしょう。また、その頃に手土産という行為というか習慣、一般庶民がわざわざ住んでいる地域と別の地域の店に行って買って、そしてまた別の地域の他人を訪問するなどという習慣はないですね。


また別の日には、新橋駅前のビルにあるビーフンで有名な店について、そのビーフンが「皇室、文豪、政財界など各界の著名人に愛されてきた一品だ」とあります。これは本当でしょうか。このお店の紹介には、このような惹句が使われることが多いようです。しかし、少なくとも皇族のどなたかがお食べになったという記録がどこかにあるのか。でも発見できませんでした。どなたか、ご存知でしょうか。
調べていると、このお店のもう一つの名物、ちまきについての記述に、皇室というキーワードが出てきます。このちまきは、餅米に具を入れて竹の葉で包み、蒸したもの。いわゆる中華ちまきですが、これが昭和天皇園遊会のメニューになったというように書いている(=どこからか引用している)ブロガー(=食べログのひと)がいます。この話が、「皇室に愛されてきた」というように、変わってきたようにも思えます。でも、これも事実かなぁ。確かに昭和天皇の御代の昭和41年、園遊会のメニューに「ちまき」がありました。でも「ちまき寿司」と呼ばれているので、おそらく酢で〆た魚を酢飯と合わせて笹で巻いたもので、中華ちまきとは全く異なるものだと思います。それに、わざわざ園遊会のメニューに、宮内庁大膳課が新橋の店の中華ちまきを選ぶとは思えないし。もう少し、調べてみたいと思います。

ちなみに、私、どちらのお店にも、なんらの遺恨もありません。単純に調べてみたいから、というだけのことです。悪しからず。

 

私、映画監督クリストファー・ノーランのファンです。彼の作品を観るために、日本にはないIMAXのフィルム上映館がある、台湾かオーストラリアに行ってしまいたくなる今日この頃です。さて、彼の作品、バットマン三部作の一つ、「ダークナイト・ライジング(2012年:The Dark Knight Rises)」に厳しい星をつけている(個人ブログページの星なんてねぇ)ブログの中に、ストーリーが破綻しているという記述があります。その例として(物語は端折ります)「悪人によってゴッサム・シティが閉鎖されたら、そもそも州兵など軍隊が出てくるはず。そんなことを無視している演出が変。」とありますが、あなた、そもそもバットマンが存在している前提の話でしょう。現実的ではないことを承知なのでは。こういう人は映画を観るのをやめたほうがいいですよね。クリストファー・ノーランはストーリーの中でこじつけが多いとか、ストーリー性が弱いなんて、いわゆるプロの批評家を書いているのをどっかで見たのでしょうか。

 

Instagramで親切おじさんぶりを発揮しているトム・ハンクス主演の「インフェルノ(2016年:Inferno)」。天才IT大富豪が地球人口を半減させない限り人類には未来は無いという考えから、致死性の高いウィルスを開発。その行方を巡って、ストーリーが展開します。あるブログが駄作だと断じておりました理由は、有り得ない人物設定のためだとあります。ラングドン教授を助けるようで、実はこのウィルスを使ってテロを起こそうとする、IT大富豪の恋人であった医者役としてフェリシティ・ジョーンズが登場します。医者のような頭のいい人が、このアイディアを信じるなんて有り得ない、人物設定がいい加減とありました。このブログの書き手は、いわゆる頭のいい人たちがオウム心理教に入信し、意図的に無辜の人たちを手にかけてしまうサリン研究をしていたことを知らないのでしょうか。中途半端に頭のいい人は論理的に見える結論に弱いのです。 

  

最近、あんまり寒いので、蟹と温泉を求めて豪雪の北陸に参りました。温泉旅館の連泊を初体験。中日にお部屋の布団を敷いたままにしていただいて、部屋にある露天風呂に入ったり、大きな露天風呂に入ったりしてダラダラ過ごしました。蟹も美味しくて、すっかりリフレッシュ。さて、その旅館について、ある旅行サイトに「料理も普通だし、部屋もパークハイアットより狭いのに高い」という趣旨の書き込みがありました。この旅館とパークハイアット東京の内装を手がけた建築家を知っていると匂わせたいのでしょうか。しかし、料理が普通という批評(にもなっていませんが)は、まず最低。意味無し。あなた様が美味いと思ったもの書いてみ、と言いたいし、そもそも「パーク・ハイアット」より狭い、ってどういう意味?旅館とホテルの客室の広さの比較?意味あるの?訳知り人を装うと、底の浅さがすぐに露呈します。

出展がいい加減なものは当然有り得無いのですが、やっぱり、意見を公開するなら、批評するなら、自分の物差しがわかるように書きましょう。そして、無責任な引用をやめましょう。自戒を込めて。

所詮、極端な好き嫌いが面白いのが、個人ブログなのですが。

これって本当?〜東京オリンピックの前に勝負はついている

第23回オリンピック冬季競技大会、いわゆるピョンチャン・オリンピックが始まりました。朝鮮半島情勢や日韓関係の収まりの悪さが、微妙に作用反作用を生み出している大会ですね。
さて、直前に放送された「NHKニュースウォッチ9」を見ていたら、とても気になることがありました。現地ピョンチャンからの中継でしたが、スポーツコーナーでアナウンサーが訪ねていたのが、アメリカの放送局NBCの最新技術の展示ルーム。VRを体験して、すごいすごいと連発していました。燥いでる場合かってーの!そのどれもNHKは出来てないんだというのを、どれくらい理解してるのでしょうか。点滅しながら集団で編隊飛行が出来るドローンも登場して、これは開会式で見られるのですかって、バカな質問。このコーナーのディレクター、恥を知れってーの。NBCに全部、やられちゃってるじゃん。

スポーツ、特に五輪はアメリカの放送局にやられっぱなしなのです。出しているお金の桁も違うので、アメリカ人が好む競技の開始時間は、アメリカの東部標準時を基準に設定されます。そして、NBCはスポーツ中継に長けた局として知られています。今回凄いのは、なんて言ったって、2月5日のミネアポリスでの第52回スーパーボウルと、さらにこのピョンチャン五輪も担当し、それぞれ最新のテクノロジーを見せつけてくれそうなことです。NBCのパートナーはIntel。そう、インテル入っているのIntel半導体素子メーカーとして知られていますが、今や映像の世界でその存在感を確立しています。

北米の4大プロスポーツリーグ、MLBメジャーリーグベースボール)、NFL(ナショナルフットボールリーグ)、NHL(ナショナルホッケーリーグ)、そしてNBA(ナショナルバスケットボールアソシエーション)は同じ悩みを抱えています。視聴者の年齢層が年々上がっていき、そこに若い層が続いていないことです。しかし、その立て直しに成功しつつあるのがNBAです。NBAはまず全試合をインターネット経由で見られるようにしました。そして、最新の映像技術を駆使した試合中継を行うことで、試合を見ることに新しい楽しみを加えたのです。そのパートナーがIntelです。

Intelがまず提供したのが、360度映像を中継映像に取り入れる仕組みでした。イスラエルの画像解析会社を買収し、その技術を活かしたFreeDというサービスです。これはすぐにアメリカンフットボールのスタジアムでも使われるようになりました。そして、今度は試合中にクォーターバックの目線を再現するBe A Playerというサービスになります。これは何故そこにボールを投げたのかがわかる映像を画像解析により表現しています。彼らはたっぷり時間をかけて、その経験を磨いてきています。結果、360度映像がOBS(Olypic Broadcasting Service)の公式映像フィードに採用され、今回から全世界に配信されます。
ドローンだって、昨年の第51回スーパーボウルでの失敗から捲土重来を期して、成功させるでしょう。ほら、レディーガガ様が登場したシーンで、後ろでドローンが星条旗を形作っていたでしょう。ちょっとよくわからなかったけど。それに、ドローンを飛ばす許可が最終的に降りなかったために、ガガ様が飛び降りる動きのところまでが収録になっていましたが。

AIがトレンドだということで、自己満足の偽AIの番組を作ったのはNHKです。AI関係者の団体が正式な抗議文を送る寸前だったという噂を聞きました。中身は昔からの手法、使い古したデータマップ系の番組でした。いわゆるバタフライ効果をサブカル的に実証したように見せただけ。自分たちで理解出来るのが、その程度のことだったのでしょう。

そもそもAIを開発することと、番組を作ることは、それぞれ別の能力が必要です。なのに、人事評価の観点が番組作りや取材の上手さに偏っているから、その観点からしか理解できない組織になっているのではないでしょうか。番組作りや取材が上手いとされる人はなんでもできるという思い込み。その挙句、経営もできるだろうと経営に回る、というような勘違い甚だしい人事が行われている限り、NHKはダメでしょう。

ちょうどイーロン・マスクのスペースXの打ち上げと一連のミッションが成功しました。テスラが宇宙飛行士を乗せて衛星軌道を回る映像も良かったですが、なんて言ったって、ロケットのブースター部分がケープカナベラルに直立で着陸した映像に感動しました。失敗を重ねても、トライし続けて得た成果です。
別に、尊王攘夷ではないけど、これで大丈夫なのでしょうか、東京オリンピックは。まさに目新しい技術は全てアメリカ製ですよ。大舞台で一度もテストせず、それこそ失敗もしていない新しい技術でなんとかしようなんて、まるで太平洋戦争末期の日本軍と同じじゃないですか。

フジテレビの新番組の司会に内定していた、麿こと登坂アナウンサーは気の毒。ご本人がセクハラ、パワハラしたのかは存じあげません(勿論、そのことは許されることではないです)が、1月18日という退職日の翌週に、週刊誌に記事が載る、それも内部でしかわからない情報が。外務省のラスプーチンこと、佐藤優さんが書いてました。男の嫉妬が一番、面倒だと。でも、そんなことしている時間はないでしょう。やるべきことをやりましょうよ。このままだと、2020年東京オリンピックの前に勝負はついてしまいますよ。

これって本当?~スポーツ新聞は昭和の香り~

飛行機の国内線、それもANAでしたらプレミアムクラスに乗ると、新聞のサービスがあります。(すいません。JALは乗らないので知りません。)CAさんが何種類かの新聞を持ってきて、お好みのものをと言ってくれるのですが、その時に「スポーツ新聞」という人がいます。例外無く、結構、おじさん。絵に描いたようなおじさん。(お願いだから、靴脱がないで!)そして、その方たちがスポーツ新聞を読んでいる景色はなんだか“昭和”という言葉を思い出せます。

私はほとんど読んだことがありません(ちなみに週刊大衆と週刊実話も同様です)。昔は通勤電車の中で、新聞を縦半分にたたんで上手に読んでいる通勤職人と言うべき人が沢山いました。身動きできない状態で目の前にスポーツ新聞の猛烈なエロ小説が展開されて、続きが読みたいと思うほど引き込まれた、若かりし頃を思い出します。
スポーツ新聞の発行部数は案の定、減っています。社団法人日本新聞協会の調査によると、1997年には650万部だったのが、2017年には336万部となっています。でも、まだそんなに発行されてるんだという実感です。ネット上に落ちていた2014年の日刊スポーツの媒体資料を見ると、男女比は82.7%が男性。その男性読者の平均年齢49.38歳(17.2%を占める女性の平均年齢は44.29歳)!やはり50代の男性が中心。

通勤電車に乗ることが無いので、昨今の車内風景はどうなんでしょう。ほとんどの人がスマホ片手ですよね。ゲームしているか、音楽聴いているか、動画を見ているか。新聞を各社のサイト、それも有料サイトで読んでいる人は少ないでしょう。または玉石混交、釣りタイトルに溢れるニュースまとめサイト。そう、まとめサイトって、出処不明の本当かどうかわからない情報が並んでるじゃないですか。それって、スポーツ新聞に似ているように思えませんか。
ちょうど今、大相撲のスキャンダルが喧しいところです。渦中の貴乃花親方に親しい新聞とそうでない新聞の報道(この言葉が適用できないようにもおもえますね)内容が180度異なるようですし、また女性誌もタレントやその所属事務所によって、そのような勢力図があるようです。こうなると、そもそも報道と言えるんですかね。まだ古の雑誌「噂の真相」の方が堂々していていいですよ。毎号の欄外に載っていた一行の噂が正鵠を得ていたことがしばしばありました。

フェイク・ニュースの定義にこんなのがありました。「偽のニュース。センセーショナル性を持たせ、ウェブ・トラフィックによる広告収入を得るためか、有名人や公的な人物、政治活動、企業などの信用を失わせるためにオンライン上で広く共有されるように作られた偽のニュース記事。」
[参照:「フェイク・ニュース」の定義がアメリカの辞書に初掲載 | Bizseeds ビズシーズ](https://bizseeds.net/articles/448)]
これって、スポーツ新聞の見出しのこと?一般紙でも、このような範疇に入る記事を結構、載せていますよね。日本のニュースジャーナリズムは、意外とフェイク・ニュースと縁あり、なのでしょうか。公正中立とは、努力目標のこと?

乗り物に乗っている時の手持ち無沙汰解消ツールが新聞だったのはいつからでしょうか。肩掛けカバンというのが大人のアイテムになったのは最近です。通勤時の姿は手提げカバンを持ち、帽子をかぶっていたのが普通の大人の姿。そうなると手が空かないので、新聞は読めませんね。
盛夏のころにWOWOWで「日本のいちばん長い日」の1967年版と2015年版を見ました。何度目かしら。季節は勿論、真夏のお話です。1967年版の主人公のひとり、時の陸軍大臣阿南惟幾三船敏郎さんが演じています。海軍大臣米内光政は山村聡さん。お2人は軍人ですので、大臣として列席される会議に、真夏でも帽子と白手袋を携えていらっしゃいます。その所作を観ていて、気づきました。三船さんは会議の席に就く際、帽子を机の上に置き、さらにその上に白手袋を載せます。よくみると山村さんも同様。要するに、帽子と手袋を置く位置は、公式の席の場合、机の上であり、さらに白手袋は帽子の上に置くものだったのでしょうか。でも、そんな所作は忘れられようとしています。そう、帽子と手提げカバンの通勤姿は昭和のものでした。

昭和が遠く過ぎ去り、まもなく平成が終わるタイミングで、謎の情報が掲載されている紙媒体を読む人の姿は、意外と最後まで残る、昭和を思い出させる景色の一つではないでしょうか。

 

これって本当?〜社長に相応しくない人の条件

会社経営って、トンデモ理論でなんとかなる世界なのでしょうか。一見、科学的、論理的、理性的に見えて、実はトンデモな主張が、会社経営の世界には結構見られます。ここ数年で、僕がすごいと思った会社経営トンデモ理論は「ソニーの社長は理系でなくては務まらない」かな。小さい話では「インターネットがわかるのは若い人だけ」かな。言っておきますが、僕はソニーの出身者ではありません。悪しからず。

日本社会が停滞しているせいか、新たな出口を見つけるために、どうやら「サイエンス的」に数値に現れるものが正しいという“憧れ”が蔓延しています。「言語化できる」とか「再現できる」などの理系というか科学実験的概念がキーワードです。言い換えると「言語化して引き継げる=誰でも再現できる=属人的ではない=知識を平準化できる」みたいな会社内用語に変わります。これらの言葉が多用される会社は、「コンプライアンス」という言葉が「上司の考えを忖度」という態度に変換される会社です。

「若い人がデジタルがわかる」ということを、エラい人が言っていたら、その会社は遅かれ早かれ、滅びます。決定する立場の人が、自分がわからない、自信がないから、「わかる」若い人に任せという判断をしたという自分に酔っているだけです。また僕の経験上、こういうエラい人は、会議でやたらと「情報が足りない」、「これだけでは決められない」と言って、決定を先延ばしします。この程度の判断、AIに代行させたほうがマシです。だいたい、デジタルネイティブという層があると本当に信じているのでしょうか。「デジタルネイティヴ(という層が存在する【筆者註】)という仮定は幻であるという研究結果(The myths of the digital native and the multitasker :Teaching and Teacher Education, Volume 67, October 2017, Pages 135-142)のサマリー」なんて記事、ありましたよ。

ソニーのトップの話も一緒のような気がします。たいして論理的ではないのですな。感情的な話。ソニーって「SONYのトップは理系でないと務まらない」と主張する人たち、特にOBたちがそんな意見を本にしたり、発表したりする不思議な文化を持つ会社ですよね。でも、「SONYが2017年度第1四半期で過去最高の営業益」なんてニュースが出ると、そんなOBたちは口を閉ざしてしまいます。現金な人たちだ。6代目社長の出井伸之さんが理系でなく、初の文系のサラリーマン社長だったため、それ以降ハワード・ストリンガーさん、そして平井一夫さんが受け継ぐ「AV/IT路線」を否定し、会社の業績の悪化と絡めて、俺の愛するソニーをダメにしやがって、と文句を言い続けるなんて。出井さんがソニーをダメにした張本人だとという戦犯説は根深く残っています。

海外勤務者(=お金にルーズ)と非エンジニア系(=技術や製造に明るくない)は、電気メーカーのトップにはふさわしくない。相次ぐ、日本の大手企業(ソニー東芝)の凋落の原因に、社長に相応しくない人を、時代の空気に流されて選んだからだという人がいます。
でも根本的な原因が他にあるような気がします。

東芝の悲劇

東芝の悲劇

 

 
最近読んだ保阪正康さんの「帝国軍人の弁明:エリート軍人の自伝・回想録を読む」(筑摩選書)。書中に、保坂さんが考えた日本の軍事組織の5大欠点(もしくは弱点)が列挙されておりました。これを読ませていただいた時、はたと膝を打ちましたね。詳しくは、是非、本書を手にお取り頂きたいのですが、以下の2点は特に感じ入った点です。
1)主観的願望を客感的事実にすりかえる。
(=ウチの会社はスゴイ。または俺はエラい。)
2) 知識の獲得が偏頗で人文科学に無知である。(=要するに教養がない)
これに当てはまる人いませんか、あなたの会社のエラい人の中で。

※2018年2月2日、副題の表記から「」を取りました。 

これって本当?〜時間を懲罰の道具にする文化

過労による病死または自死が問題となっています。電通を責めていた公共放送NHKも同じ穴の貉だったことで、第2ステージに入った感があります。

勿論、人が亡くなったり、身体を壊したりするのが当たり前だという会社はアウトです。でも、そこまでして働いて、生き残った人が地位や給与に於いて、ピラミッド型社会の上位に位置すること、それこそがサラリーマンの自己実現だとする、日本の戦後を築いてきた考えの一つではないかとも思います。

 

僕がサラリーマンだった時に関わった上席の人を思い出します。時間という締め切りを巡って、全ての習慣が形作られていたような会社でした。つまり、寝なくて当たり前。24時間働くのが普通だった時代ですから。今から考えると、時間を懲罰の道具のように使う人たちが、ピラミッドのより上位に位置しておりました。

僕が“お世話になった”お2人とも、結構エライ人でした。共通していたのは「俺は聞いてない」と「俺はそうは言ってない」というセリフが、結構その人たちの口から聞かれたこと。「コンプライアンス」という言葉を愛し、忖度を“要求”する人、ですね。やれやれ。


1人目は、1日2食という自分のスケジュールに合わせて、全ての業務を発注する人。お昼ご飯は食べないのが習慣。通常は休憩時間である12時から13時という時間帯も業務時間に含めることを、部下にも当たり前とさせていました。特に、資料などペーパーの修正については、このルールがかなり厳密に適用されていたように覚えています。

 

2人目は、24時間全てを仕事に充当することを求める人でした。そして、自分が全てを把握していないと気がすまない人。この人は、部下たちが次々と辞めて行ったり、身体を壊してしまうことが続くことで知られておりました。僕が直接被った例では、翌日の朝の会議に向けて、前日18時頃に説明した資料について、根底からのダメ出しをくらい、明日の朝の会議まで16時間あると言って、資料をつっかえされたことを覚えています。勿論、会社ですから、まともな成果物を求めるのは当たり前です。でも、その人、結構難しい人で、僕にとっては意図がよく分からない、どの方向に持っていけば納得するのか分からない上司でした。さらに僕は、所謂、「悪魔の証明」を求める人だと感じてました。一般的には「悪魔の証明」とは、起きないことや、存在しないことを証明することは困難であるという詭弁(術)の一種。想像力が逞しいのか、新規事業の提案に対して、「◯◯なこと(リスクになりそうなこと)は絶対に起きないのだろうな」という言質や証左を求めるので、若干辟易していたのも事実。「絶対」って、あなた、それは無理でしょう。

 

このお2人には、当時は、大変だとは思っていましたが、それなりに頑張って対処していました。お前が間抜けな社員だったからと言われれば、反論の余地もありません。お前を育ててやる、という意図で、厳しく対応されていたのかもしれません。
でも今になって考えると、24時間全てを会社に捧げることを要求することで、結果として時間を懲罰の道具のように使うことに長けていた人たちだと思います。

人材育成の方法として、本人の能力を少し超える課題を与えるという方法は一般的なものです。また、効率という面の向上を考えて、時間を限るという方法もあるはずです。これは、最初は時間内に収まらないということも含んでいる、未来のための“負荷”を与えるという方法です。もしかしたら、このような人材育成方法は、過去のものとなるかもしれません。時間を懲罰の道具に使わない人材育成。
いずれにしても、前述のようなエライ人たちは、まだ会社に生き残っています。文化は身体に染み込んでいるもの。あの会社が変わるには10年単位の時間が必要になるのかもなぁ。 

これって本当?〜「フォーマルな時は長財布」

カード入れとマネークリップの機能を持つ、ある商品を買おうかとアマゾンを覗いていました。クレジットカードと紙幣を持ち歩くための最小限の構えとして、です。そこで、前々から引っかかっていたことをコメントに発見しました。「フォーマルな時には長財布なので」。それってどういう意味?フォーマルな格好というと、タキシードや燕尾服が思い出されますが、その際に長財布をどこに入れるのでしょうか?まさか尻ポケット?

ネット上にある、これ買った、あれ買ったと、自分が買った商品を見せる(=自慢する)スレにも、よくあるのですが、「リッチな人は長財布を持っているので、自分も買った」、「やっと追いついた」みたいな書き込み、また「スーツには長財布ですね」などという商品コピー。

これはある層の人たちの思い込みなのでは。だって、少なくともお金をたくさん持っている知り合いの中で、長財布なんて使っている人、見たことがない。特にクレジットカードを使うことが多い、昨今ですから。


財布の大きさがリッチ度合いを表すという感覚。多分にアジア人的な感じもします。どうなんでしょうか。またお札を折らないのが良いというのも、同じようなメンタリティを感じます。たっぷり1万円札が入っているので、財布が立ったなんていう映画黄金期の俳優の逸話が、リッチなイメージの元なのでしょうか。 そもそも、フォーマルな財布、などという概念が間違っていると思います。男性用のフォーマルなカバンというのもありませんよね。フォーマルという概念の格好の時、男性は手ぶら。パーティ用のバッグは女性が持つものがメインで、最低限のもの、そうお化粧直しの道具程度しか入らない大きさです。最近では必需品として、スマートフォンが加わるくらいでしょう。長財布が付け入る余地がない。だいたい、そんなに現金を持って歩くのかしら。
2016年11月には、インド政府は500ルピーと1000ルピー(1630円程度)紙幣を廃止すると発表しました。それも、その発表からわずか4時間後に、紙幣として無効になると。理由は、ブラックマネーの撲滅と現金経済からの脱脚です。アメリカの1000ドル札、EUの500ユーロ札にも、廃止の意見があるそうです。日本の1万円札だって同様。高額紙幣の廃止議論は、ちょっとしたブームです。
そもそも、アメリカやヨーロッパの街中でそんな高額紙幣はお目にかからないからでしょう。以前、10年程前でしょうか、フランスのカンヌの海岸べりにあるマクドナルドで、500ユーロ札で支払いをしようとしていた中国人が、店員に断られているのを目撃しました。でも、その中国は、今やご存知の通り、都市部では現金決済は過去のものになっています。
高額紙幣はそれなりの大きさです。少額になればなるほど、紙幣は小さくなっているのは、万国共通です。今後、大きな紙幣が減っていくでしょう。つまり、お金の姿が変わるとすれば、財布の姿も変わっていくはずですよね。
僕が歯のケアに通っている銀座の歯医者さん。治療代をBitcoinで支払えると、受付に掲げてあります。Bitcoinなど仮想通貨は、そもそも実体はありませんから、入れ物も必要ない。予約で行くので、待合室に座っている時間がわずかなのですが、その支払いの瞬間を見てみたいと思っています。そして、その方がどんな財布をお使いなのか、ものすごく興味がある今日此頃です。

最先端は最初につながっている

7年前の今頃のことです。2010年7月25日、ロンドンでのイベント「ハイボルテージフェスティバル (High Voltage Festival)」でELPエマーソン・レイク&パーマー)の最後のステージが行われました。そのDVDが手元にあるのですが、お世辞にも素晴らしい演奏とは言えません。往年の名曲ばかりですが、キースのミスタッチが目立ちます。ちょっと悲しい映像でした。キースとグレッグが2016年に相次いで他界してしまったので、もうELPは見られません。

2016年3月7日に東京のサントリーホールで、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会がありました。指揮は佐渡裕さん。マエストロ。2階の隅の席の切符を買ってありました。「タルカス」がプログラムの2 曲目にあったからです。佐渡さんの指揮で聴く機会にやっと巡り会いました。
演奏が終わり、客席にいたオーケストラ版のアレンジを行った吉松隆さんが紹介されました。さすがにキース・エマーソンはいないだろうと、客席を見渡しました。そのキースが自ら命を絶ったのが2016年3月10日。符合ではありませんが、何かがそこにあるように感じました。

ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル 2010【日本語字幕付】 [DVD]

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「タルカス」は1971年に発表されたELPの2枚目のアルバム。7曲が連なる組曲になっています。吉松さんはこの作品を、「20世紀初頭の現代音楽と20世紀後半のロックとを繋ぐ〈ミッシング・リンク〉に当たる 重要な作品」として、キース・エマーソンにも許可を得て、オーケストラ版を編曲します。とても興味深いことを書いていらっしゃいました。「カール・パーマーが叩いているドラムのパートを6人か7人くらい(のパーカッションに)バラして、綿密なスコアにして、初めてコントロールできるリズムセクションとして機能するようになる」(文藝別冊KAWADE夢ムック「エマーソン・レイク&パーマー 鍵盤の魔術師の伝説」より) 

タルカス

タルカス

 

 

 
2010年に発売された初演のライブ録音。(2010年3月14日 於東京オペラシティコンサートホール)。オーケストラは東京フィルハーモニー管弦楽団。指揮の藤岡幸夫さんが、「はぁっ!」と最後のタメのところで声を漏らすほどのスリリングな演奏です。

この「タルカス」は、NHK大河ドラマの51作目、2012年に放送された「平清盛」の中で使われています。大河ドラマならではの重厚なタイトルバックに、縦書きの「挿入曲『タルカス』より『噴火』」、「作曲キース・エマーソン」という文字に心が躍りました。主演の松山ケンイチさんは奮闘していましたが、視聴率に苦戦し、打ち切りとも言われて、ドラマ自体は僕もあまり覚えていません。

タルカス~クラシック meets ロック

タルカス~クラシック meets ロック

 

 

NHK大河ドラマテーマ曲は、毎回、どんな曲なのか、初回放送の楽しみの一つです。最近では2016年の第56作「真田丸」の服部隆之さんの曲は、出だしのバイオリンから衝撃的でした。また古くは、1964年の第2作「赤穂浪士」。芥川也寸志さんの作曲のボレロ形式のテーマ曲は、今聴いても斬新です。大河ドラマではありませんが、中村吉右衛門さんが主役の1986年のドラマ「武蔵坊弁慶」。このテーマ曲もボレロ形式です。芥川さんの曲。悲劇で終わる時代劇に描かれる人の業。ボレロはぴったりです。

毎度、脱線します。いわゆる朝ドラ、朝の連続テレビ小説ひよっこ」の音楽は宮川彬良さん。細部まで作り込まれた脚本にふさわしい。音楽が何かを語っています。お父さんの宮川泰さんは「恋のバカンス」(1963年/ザ・ピーナッツ)や「宇宙戦艦ヤマト」(1974 年)等で知られています。音楽的な遊びに溢れた方でした。僕だけが気づいているわけではないと思いますが、なぜだか「ウナ・セラ・ディ東京」(1964年/ザ・ピーナッツ)と「真っ赤なスカーフ」(1974年/ささきいさお)は、どちらのメロディでもどちらの歌詞で歌えます。「ジャンジャン」というコントのオチになる音楽効果を作った人でした。彬良さん、お父さんを越えた感じがします。

テレビの初期にドキュメンタリーというジャンルを確立した「新日本紀行」。音楽は冨田勲さん。当時はスタジオミュージシャンという存在がほとんど無かったので、NHK交響楽団から集められたメンバーが、編集の終わった素材を見ながら、ほとんど生で音楽を当てていたとのこと。
冨田勲さんは、ムーグのシンセサイザーを初期に日本に持ち込んだ方です。個人輸入して、税関に用途を説明に行ったそうです。パッチ式の巨大なムーグ。弟子たちが使っていいと言われて、師匠の音作りの秘密が見られると勇んで、ムーグを見たら、ツマミが全て、元の位置に戻されていたなんて逸話があります。冨田さんも大河ドラマの音楽を「花の生涯」(1963年・第1作)、「天と地と」(1969年・第7作・初のカラー作品)、「新・平家物語」(1972年・第10作)、「勝海舟」(1974年・第12作)、そして「徳川家康」(1983年・第21作)と5回、担当しています。 最先端の作曲家ならではですね。

最新版 NHK大河ドラマ テーマ音楽全集 1963 - 2017

最新版 NHK大河ドラマ テーマ音楽全集 1963 - 2017

 

 

チェロのデュオ、2CELLOS。2本のチェロだけで、クラシックからポップス、ロックまでを演奏する彼らは、その演奏をYouTubeで公開したことで広く知られました。日本での演奏を見たのですが、いちばん驚いたのは、演奏中に撮影ができるというスタイル。ファンの女性たちが、スマホで写真やらビデオやら、ずっと撮影していました。ちなみに、日本と韓国で発売されているスマホはシャッター音を消すことができないので、カシャカシャを結構うるさい。アメリカやヨーロッパで一般的になりつつあるコンサートスタイルを日本で初めて見ました。そこにあったのは熱狂です。

チェロヴァース ー2016ツアーエディションー(期間生産限定盤)

チェロヴァース ー2016ツアーエディションー(期間生産限定盤)

 

 

ベートーベンは第九の初演の際、既に聴力が失われていました。初演は失敗したと思い、指揮台の上で聴衆の方を向かなかったので、演奏直後の聴衆の熱狂に気付かなかったとのことです。アンコールの嵐だったとか。また、ベルリンフィルハーモニー交響楽団フルトベングラーが演奏する1942年のヒトラー生誕祭で演奏された第九。今世紀になって発見された貴重な録音ですが、第四楽章の合唱以降が、あまりの熱演でテンポがとんでもないことになっている。熱狂がなせる業でしょうか。 

ベートーヴェン:交響曲第9番 1942年 メロディア盤

ベートーヴェン:交響曲第9番 1942年 メロディア盤

 

 

極端というか、最先端はどこかで最初につながっています。映画「メッセージ」の原作「あなたの人生の物語」の著者テッド・チャンの短編「バビロンの塔」。天にも届かんばかりに高いバビロンの塔をどんどん登っていった男が辿りついたのは、砂漠の大地。
「そうか、円筒印章だ。(中略)この世界は天と地が接するように、ある玄妙なやりかたで丸く巻かれている。いちばん長い旅でさえ、人間を最初の出発点へひきもどすにすぎないからだ。」

デジタル時代になって、いろいろなつながりが新しく作られていきます。でもそこに不可欠なのは熱狂です。そして、熱狂が最先端と最初をつなぎます。


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

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