永遠の夏への扉はどこに〜ホームスピーカーがAIを供にやってくる

毎週日曜日、午後2時、FM東京の「山下達郎のサンデー・ソングブック」を聴くのが日課になっています。もっとも、生では結構聞き逃すことが多くて、radikoのタイムフリーを使わせてもらっています。便利。

6月18日放送回の1曲目は僕にとっては感涙の1曲、「夏への扉」。それもライブで、キーボード難波弘之さん、ベース伊藤広規さんというメンバーでの演奏。さらに、2番を難波弘之さんが歌っているという超ベストパフォーマンス。この曲、放送でも山下さんが言っていましたが、SFファンでプログレファンのキーボード奏者、難波弘之さんの1979年のソロ・アルバム「センス・オブ・ワンダー」への書き下ろし。難波弘之さんは高校時代からの憧れのキーボーディスト。彼の処女作、「飛行船の上のシンセサイザー弾き」も2冊、文化出版局版と早川書房ハヤカワ文庫版、持ってます。「SFマガジン」の連載、「キーボードマガジン」の連載、どちらも読ませていただきました。そしてNHK教育テレビの「ベストサウンド」は必ず録画(VHSで!)して見ていました。

夏への扉」は、アメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインが1956年に発表したタイムトラベルをテーマにした小説「The Door Into Summer」をモチーフにした曲です。この小説は、未来からの過去の改変、タイムトラベルの結果による過去からの未来の改変について、考察しています。このテーマで思い出すのは、1965年に発表された広瀬正の「マイナス・ゼロ」も過去の改変がテーマ。僕が若い頃でも、あまり手に入らない本でしたが、集英社文庫広瀬正小説全集で揃えました。それが、今やKindle版で買えるなんて、素敵な時代。SFはサイエンス・フィクションの略だけではなく、スペキュレイティブ・フィクションでもあるという議論が懐かしい。

 

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

 

毎度毎度の長い前振りですが、ラジオを聞きながら何かをするという行為。デジタルラジオになってから、40年前の習慣が戻って来ているのが驚きです。電車の中で、デジタルラジオ(それも聞き逃し!)でお気に入りの番組を聞きながら、デジタルブックで週刊誌を読む。これが習慣になっています。デジタルラジオになって、再確認したことは「ながら族」という死語は、実はまだ生きているということ。僕が若い頃、ラジオやレコードを聞ききながら勉強や仕事をする人を呼んでいた言葉ですが、スマートフォン時代になって、それを支える新しいサービスが登場し、新たな「ながら族」の仕様が出来上がったと言ってもいいでしょう。そして、この新「ながら族」はデジタルコンテンツの覇権争いに大きな意味を持ちます。

車を運転する時を考えてください。車を運転する作業だけで一杯一杯になっているドライバーは危なくってしょうがない。慣れているドライバーは、運転行為が無意識の中に組み込まれているというか、考えなくても、体が先に動くようになっていますよね。運転が専一になっていなっていうこと。ラジオを聴きながら、同乗者いれば会話しながら運転するのは当たり前。

アマゾンのサービスでAudibleというのがあります。本を読んでくれるサービスとでもいうのでしょうか。本を音声の朗読として買うわけです。また、たまにアメリカのアマゾンで書籍を買う場合に、CDという選択肢があって、面食らいます。運転しながら再生するみたいな使い方。日本人には慣れがない、本の読み方です。Audibleは、その派生系ですね。

昔の日本のラジオには、朗読の時間というのが結構あって、かの有名なNHKアナウンサー鈴木健二さんの時代小説の朗読なんて、最高でした。(今でもNHKラジオ深夜便では、朗読の時間があるようです。)

耳から入る情報は、何かをしていても、流れの中に棹差すようにしっかり刺さります。そしてこれからは、何かをしている時に、声が割り込むようになります。

テレビとスマートフォンのスクリーンを見る時間の取り合いと言われてきましたが、実は見る方にとっては、ほとんどの時間は「ながら見」なので、実はタイムシェアリングの問題。そしてコンテンツの質の問題です。電波で送られてくるテレビを見なくなっても、その他の映像コンテンツはむしろ、視聴時間が増えている。そんな時、何かを見ている時は、声をかけるしかないでしょう。

ちなみにデジタルラジオはラジオの復権と言っている方もいますが、それはやや見当違い。情報の上乗せは音声が一番、生理的な解決方法であるということが、改めてわかったということでしょう。テレビを見ている時にも、何かが音声で割り込んできたら、どうでしょう。たとえば、長時間の歌番組。ちょっと浮気して裏番組を見ている時、もともと見ていた番組に自分のお気に入りの出演者が登場することを教えてくれたら?

ちょっと逸れますが、耳にイヤフォンが入っているのは、いろいろな感覚が奪われているように感じます。人が近くに寄って来てもわからない。または、どの方向から近づいて来るのかわからない。距離感が鈍るというのでしょうか。だから、オープンエアーの状態で音声が来るのがいい。

テレビドラマを見ていると、いろいろ考えさせられます。TBS系日曜劇場枠「小さな巨人」、ちょうど最終回でした。怒鳴り合い、顔を変形させる闘いの最終回でもありました。香川照之さんがあの顔で「捜査第一課長、小野田義信の目を見て言え!昆虫が好きだと!」と言いそうでドキドキしました。サラリーマンにとって、重い言葉がたくさん登場していました。「辞めない覚悟もある」、「敵は味方のふりをする」などなど、身に染みました。でに画面に集中した後、コマーシャルに入って、ふと息を抜いて、何かを考えては、iPhoneで調べる、メモする。そんなテレビの見方。製作者には申し訳ないのですが、そんなテレビの見方は、既に普通の行為です。これからは、テレビを見ながら、ホームスピーカーに呼びかける。そして、次の時代は、ホームスピーカーが音声で、何かを知らせてくれる。

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アマゾンのAlexa(Echo)、グーグルのGoogle Home、LINEのWAVE(Clova)、そしてAppleのHome Pod。日本語対応は、どうやら今年の年末12月から春先までに、LINEを除く各社のタイミングがやって来そうですから、揃い踏みのタイミングは2018年の春でしょう。戦闘開始。

前述の「夏への扉」は、1956年から見た未来、1970年がスタート点です。そこにはHired Girlという家事ロボットが一般的に使われている時代になっています。翻訳したS-Fマガジン初代編集長福島正実さんも苦労されたのでしょう。文化女中器という訳になっています。(新訳ではどのようになっているのか未確認です。)ルンバではありませんが、掃除を含めた家事一般をこなしてくれるロボットが1970年の世界では、当たり前になっています。そして、主人公が冷凍睡眠(コールド・スリープ)の末に目覚める2000年には、さらに便利になった万能フランク(Flexible Frank)というロボットが存在しているという設定でした。2017年の今、AIホームスピーカーは、Hired Girl、そしてFlexible Frankを超える存在になれるのでしょうか。

永遠の夏への憧れは尽きません。さて、夏が来ます。今年の夏は暑いのでしょうか。

アマチュアのプロレス(2)~コピペ、そしてフェイクニュース

続きですが、毎度ながら迂遠な話から始まり恐縮です。

フェイクニュースやDeNAWELQの、一連の“事件”の中で、会社員だった頃を思い出しました。マスコミの新入社員でしたので取材をするのですが、最初の頃、なんか変だなぁと思っていたことがありました。その頃、取材というのは、誰にでも話しを聞いくのはタダ(!)だと教わっていました。情報を持っている人に電話をして訊ねたり、訪ねて行って話を訊いたりするのは、当然だということです。でも相手にとっては、自分の時間を僕の取材のために割くのですから、立場に拠るとは思いますが、迷惑に感じていたかも。そうそう、会ってお話が聞ける方には、会社のちょっとしたノベルティグッズを差し上げたりはしましたね。でも、電話なら、その場限り。
見ず知らずの人の家に電話して(携帯電話の無い時代でしたから、家の電話!それも人から電話番号を聞いて掛けていました。個人情報なんて概念、全くありませんでしたね)、会社名と名前を名乗って、すぐに質問に入ってました。
これを思い出しながら、時系列を無視した、こんなことを考えました。どこかに、その人の知識が公開されていて、そのまま引き写すことが出来れば簡単だったのに。おや、それはなんだか、ネットに書いてあって、それをコピペして。。。というのに似ています。しかし、それは取材行為と言えるのでしょうか。

 

コピーして、(自分のどこかに)ペーストするのは取材なのか。本屋さんで雑誌の立ち読みから写メ(なかなか死語にならない言葉ですね)でのメモは、なんとなく行為としてNGですよね。なんか盗んでいる感じがします。では大学の授業でノートを取らず、教師の板書を撮影して済ますことを諾としますかね?
知識(=情報)は、文字が出来て、さらに印刷が出来るまでは、人の脳にだけ在りました。コミュニケーションによって、一人の人の脳から、他人の脳に“移動(=ペースト)”させるわけです。逆に言えば、一人の脳から、他の人の脳にコピー&ペーストできないために教育がある、という意見をどこかで読んだことがあります。(出展を忘れてしまいました。そして見つけられない。ほら、コピペできたら出展も明らかに出来るのに!)。

コピーにつきまとう、微妙な罪悪感(=拝借感、かな?)を払拭するのに必要なことは、その出展を明記することでしょう。引用または参考としての出展。このようなブログでも同じですよね。どなたかのブログに書いてあったオリジナルなことを転記する場合は、出展を明らかにするのはルールです。オリジナル、がキーワードでしょうか。そこに創作性(この言葉に法的な厳密性は考えていません、とりあえず。)があるからでしょう。
長野県知事衆議院議員だった田中康夫さんのデビュー作「なんとなくクリスタル」(1980年)は、本文描写に加えて、脚注に注目が集まりました。ネームドロッパーとしての面目躍如。この脚注が単なる引用ではなく、批評性に溢れたオリジナルであったことが注目された理由でした。当時はあまり意識せず、読んでいましたが。

 

33年後のなんとなく、クリスタル

33年後のなんとなく、クリスタル

 

 


出展が明らかではない情報は、往々にして、間違いを生みます。つまり、コピペの過程で、元の情報が濁ると言うのでしょうか、勘違い、思い込みが加わり易く、また単なるコピペミスも生じがちです。まるで、正常な細胞からガン細胞が生まれるみたいに。

「学ぶ」という言葉は、自主的に、自分一人で出来る行為です。一方、「習う」という言葉は、「人から」学ぶ行為です。これから考えると、コピペが学びでないとは言えないでしょう。料理や工芸などの分野で言われる、先輩のもの(行為)を見て盗む修行も教育の形態の一つでしょう。伝統芸能などでは、先輩や師匠の完全コピー=完コピを目指すのが、まず最初の到達点です。でもこの場合は、それは通過点であり、その上に自分なりのものを加えて出来上がる姿が終着点です。

蜂蜜を加えた離乳食が原因で赤ちゃんが亡くなったという事件がありました。生後一歳未満の乳児にとって、蜂蜜は危険な食材です。でも、そのことをお母さんはご存じではなかった。悲しい事件です。さらに、料理のレシピサイトとして知られるクックパッドの268万にも及ぶレシピの中に、蜂蜜を使った離乳食のレシピが140余りが公開されていることがわかりました。検索してその結果を、ネット上で皆さんが公表してくれましたので。(豚肉の生食レシピなんてもあったようですね。強烈だなぁ。これらのレシピは4月上旬に閲覧出来なくなったようです。)
当たり前の言い換えですが、ある時期までの乳幼児には蜂蜜は有害だということを知らないのは、その知識がコピペされていないということ。また、クックパッドのレシピの中にある間違いを、正解として“学習してしまう”原因は、コピペの元に間違いもあるということに気づいていないから。

フェイクニュースが問題なのは、それ自体がまったくの事実ではない情報であることに加えて、多くの人がそれをコピー&ペーストの上に拡散させる、という2つの側面があります。
はっきり言って、フェイクニュースは、ニュースという「新しい出来事を伝える仕組み」の悪い面、ダークサイドです。両面宿儺。表裏一体。ジェダイとダーク・ジェダイのようなもの。ずっと存在しています。最近やっと、その存在が認知されただけです。マスコミのニュースだって、フェイクニュース並みの問題ニュースがありますよね。

さらに言えば、既存のマスコミは信頼できない、事実は市民が自ら伝えるのだ、という市民ジャーナリスト時代の黎明期にあることも、関係しています。この市民ジャーナリズムという手段の悪用がフェイクニュースの隆盛を招いています。オカルトや陰謀論の傍証が「ネットにある」というのと同じです。

プロであるマスコミでは公表の前に間違いを見つける過程があります。それも取材した本人ではなく、他人の眼を通すのが普通でしょう。校正とか試写。その過程がない立場の人が、事実だとしてニュースを公表するのは、結構危険。もちろん自分が見たことだから、間違いないと言うのかもしれません。でも先達が言っているじゃないですか、藪の中って言葉を。それに個人の意見や感想を開陳するのが記事ではないはずですが、マスコミのくだらないニュースを見て、逆にその程度でいいのだと勘違いしている人も多々いらっしゃいます。教師、先達って、大事だなぁ。(多くの人の眼を通ることで、元の情報が曲げられたり、薄められることも起こりえます。多くの人は、これがマスコミが持つガンだと思っていますよね。)

情報を扱うには、やはり訓練を受けたプロが必要です。またプロフェッショナルがプロフェッショナルたる課程が必要です。人間には限界があり、一人で全てのことを満たす、つまり万能であることは出来ないので、分業というやり方が生まれ、それぞれの道のプロというのが存在するようになったのではないでしょうか。情報を扱う場合も一緒です。プロとして経験は、放送局や新聞社、出版社に勤務していたということは違います。勤務していたって、プロではない人はたくさんいます。この場合のプロとは、「間違い」の恐怖を知っている人なのではないでしょうか。そして間違いを見つけた経験があり、間違いを見つける経験がある人です。
自分の考えを発表したい人がたくさん存在している。でも、なかなかたくさんの人の目には触れない。そんな“素人”の“知恵”を集めることで、プロを雇い、記事を書かせるより安い金額でサイトが出来上がる。WELQの閉鎖はこのアイディアが招いた結末だと思います。この“素人”は、どんな素人か。手段としての素人、です。手段としての素人は危険です。素人って、エロ検索の危険なキーワードですもんね。

情報は正しいものだけが情報ではなく、間違っていることも情報です。インターネット上に存在する情報、またはそれをまとめた集合知と呼ばれるものには、正誤がごった煮状態になっているものも多いのです。
2015年12月、日本経済新聞社がイギリスのFinancial Timesを買収しました。騒動の最中、「日経という会社のことを知らないので、Wikipediaで調べてみるわ」と言っているFTの従業員のインタビューがありました。たしか軽い路上インタビュー。それを見たのか聞いたのか、ネット上で「Wikiなんかで調べてみるなんて言う程度だから、日経に買収されるんだ」と書いている人(一般人だったかな)がいました。でも、Wikipediaは、まさに毀誉褒貶という意味で読めばいいのです。間違いも含めて、まずwikiで調べるのが、何が問題なのか。wikiを鵜呑みにせず、概観として受け入れ、その上で、何事かを判断する態度が必要なのではないでしょうか。調べるだけではなく、そこから生まれる判断が大事ですよね。

コピペという行為は、避けられない、止められない行為です。だって便利だもの。インターネット時代、取材方法としてのコピペは確立した手法です。なので、もう一段階、高いところを目指しましょう。プロとアマの差は現前としてあるのだから。情報の価値とその是非を判断し発表=公開しましょう。間違いが在った場合とその間違いを認めて、訂正することも厭わないプロの「コピペスト」になりましょう。これぞインターネット時代の情報発信者の在るべき姿ではないでしょうか。そして、もう一つ大事なこと。アマチュアのコピペストは存在しない、と決めましょう。

当たり前のことばかり書いている?うーん、アマチュアのブログだから許してください。

 

The Right Stuff〜そこにいるべき人は誰だ

ここ最近見た映画の中で印象的だった3本は、ちょうど1950年代後半から1970年代前半が舞台になっていました。アメリカが挫折に直面し、それを乗り越え、そして改めて未来を模索した経験を、虚実を取り混ぜて描いていました。

時代的には1962年あたりが軸になった「Hidden Figures」。毎度の飛行機の中での鑑賞です。(ちなみに、キアヌ・リーブスの「JOHN WICK: CHAPTER 2」、マット・デイモンの「THE GREAT WALL」も見てしまいました。)

さて「Hidden Figures」。タイトルがまだ原題であることからわかるように、日本での公開がなかなか決まらなかった映画です。機内で見られることがわかっていたので、とても楽しみにしていました。日本に戻ったタイミングでちょうど、この秋に日本でも公開されることが決まったようですが、邦題でモメているようです。こういう題名は難しい。アメリカ国内ではかなりのヒットを記録したのですが、人種差別の中、アメリカの有人宇宙飛行計画を支えた黒人女性たちが主人公の、知られざる(=hidden)物語ということで公開がなかなか決まらなかったようです。 

Hidden Figures

Hidden Figures

 

 
当時、NASAではコンピューター導入前で、計算尺を使いながら、手で軌道計算をしていたのですが、その計算を黒人女性たちが行っていました。彼女たちはコンピューターと呼ばれていたのです。そう、計算士。彼女たちはそんな重責を担っていながら、トイレが白人用と有色人種用に分かれていたり、なかなか管理職に登用されなれなかったり、という差別の中、頭角を現して行くというストーリーです。“compute”という単語、もともとは「計算する」という意味ですものね。自動計算機が登場するまでは、人力だったのが当たり前の事を忘れていました。
2月末に行われた第87回アカデミー賞受賞式。長編ドキュメンタリー部門のプレゼンターとして、この映画の主演の3人、タラジ・P・ヘンソン、ジャネール・モネイ、オクタヴィア・スペンサーと一緒に、タラジ・P・ヘンソンが扮したキャサリン・ジョンソン博士ご本人が登場しました。また、ついこの間のサンノゼで開かれたAppleの開発者イベントWWDC2017では、Hidden Figuresの1人であったクリスティン・ダーデン博士が登場するセッションがありました。
タラジ・P・ヘンソンは、CBSのドラマ「パーソン・オブ・インタレスト(Person Of Interest)」の刑事役で知りました。役によって、年齢も含めた雰囲気がガラッと変わる、上手い人だなぁという印象です。またケビン・コスナーが、人種に囚われず、適任の人(Right Stuff)がそこに参加すべきだという態度のNASAの責任者をカッコよく演じています。舞台となったヒューストンにあるNASAのジョンソン宇宙センター(あ、ジョンソンの名前を冠してた)に行ったことがあるのものですから、あのちょっと事務的で機能的な施設の中を思い出しました。
映画に登場する有人宇宙飛行計画(マーキュリー計画)に参加した宇宙飛行士7人(マーキュリー7)の1人、ジョン・グレンって、本当にアメリカのヒーローなんだと感じました。ここでもカッコいいんだもの。“I mean, she says they're good, I'm ready to go.”=「あの子が間違ってないと言わなきゃ、飛ばないぜ」(意訳です)だって。マーキュリー計画と言えば思い出す映画 「ライトスタッフ(The Right Stuff)」(1983年)でのジョン・グレンエド・ハリスもカッコいい。まもなく宇宙に飛び立つグレンに奥さんから電話がかかってきます。ジョンソン副大統領(ジョンソンは結構、悪役扱いされる嫌われものです)がグレンの留守宅にテレビカメラと一緒に訪問したいと言って来ているのですが、奥さんは、グレンのことが心配でそれどころじゃない。困りきった奥さんとグレンの電話の会話です。「俺は100パーセント、君の後ろについている。相手が誰だろうと足の指一本入れさすな。言ってやれ、宇宙飛行士のジョン・グレンがそう言ったと。」すごい啖呵。
ちなみに、ライトスタッフには、黒人女性たちが軌道計算をしていたなんて、全く描かれていませんでした。
もう一つ。懐かしいもの。トランジスタメインフレームのIBM7090、そしてFortran、懐かしい。

 

ライトスタッフ 製作30周年記念版 [Blu-ray]

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その嫌われもの、リンドン・B・ジョンソンが副大統領から大統領に昇格した場面も描かれている、1963年の話「ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命(Jackie)」。アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・F・ケネディの妻、キャサリーン・ケネディ元駐日大使の母、ジャクリーヌ・ケネディの“伝記”映画とのことですが、“伝記”ではないですね。ダラスでのケネディー大統領暗殺に際して、どうやって「伝説」を作ったか、という映画です。日本語の題名、これはいい。ファーストレディとして最後の仕事、その使命を全うするまでを描いています。虚実の皮膜になんとやら、ですかね。
配役もよくて、ナタリー・ポートマンはシャネルのスーツと、帽子がよく似合います。あの頃の微妙な膝丈のシャネルスーツ。
そうそう、蝶々のモチーフで知られるデザイナーの森英恵さんが、1960年代、ココ・シャネル存命中に仕立てられたシャネルスーツをお持ちなんだそうです。ある時、それを顧客名簿から知ったシャネル社が展示のために貸して欲しいと言ってきたのですが、お断りになった。理由がすごい。中途半端な膝丈を嫌って、森先生自ら切っちゃったからですって。さすがミセス・バタフライ、森英恵

グッドバイバタフライ

グッドバイバタフライ

 

 
さて、配役ですが、ジョンソン副大統領役がちゃんと大男なのが正しい。身長190センチ超のジョンソンが、ケネディの暗殺後に急遽エアフォースワン(当時はボーイング707を改造したVC-137)内で大統領に就任し、宣誓を行っている写真でも、やや背を屈めている姿が印象的でした。血染めのコートのジャッキーが横に立っています。それが映像で再現されていました。弟のロバート・ケネディー役のピーター・サースガード(Peter Sarsgaard)も結構似ています。兄に比べて、ちょっとひ弱な感じのロバートが、よーく出ています。
ケネディとジャッキーは、ホワイトハウスのプライベート空間に、毎夜のごとく音楽を響き渡らせます。ミュージカル「キャメロット」のレコード。イギリスの伝説の王、アーサー王と彼に仕えた円卓の騎士たちを主人公にした、伝説の都市キャメロットを舞台に展開するお話です。ちなみに美しい世界が崩壊していく物語です。美しい王朝が崩れ去る様は美しい。ジョン・F・ケネディとジャッキーは自らの政権を、アーサー王の理想の宮廷に準えていたのです。
アメリカ人は潜在的に、連綿と続いているヨーロッパの宮廷文化への憧れが強いと言われています。それはアメリカの歴史の短さが、建国以来のトラウマだからです。新大陸は旧大陸に比べて劣っている土地。神に祝福されていない土地だという、謂われのない蔑みに対抗することを、あらゆる手段で行ってきました。またアメリカには強くて大きな生き物は存在しない、それは劣った土地だからであるという博物学プロパガンダにも苦戦しました。
ある時、骨格だけでも6メートルに及ぶ化石が発見されます。それ見たことか、アメリカにも強い生物が存在したのだ。大懶獣メガテリウムという名前で呼ばれるようになります。博物学者でもあった第3代大統領トマス・ジェファーソンが先頭に立って、この生き物の存在を喧伝しました。でも、このメガテリウム、実は巨大なナマケモノ。ゆっくり動いて、葉っぱを食べていたようです。

目玉と脳の大冒険―博物学者たちの時代 (ちくま文庫)

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ジャッキーが腐心して、やっと実施された壮大なJFKの葬儀。第16代大統領エイブラハム・リンカーンの葬儀と同じ葬列で行ったことの意義は、歴史の中の継承性、正統性に拘ったからでしょう。ジャクリーヌ・リー・ケネディのファーストレディとしての最後の使命を果たした結果、JFKは伝説の大統領になったのです。

 

さて、大きな獣のお話。
1973年あたりが舞台であろう「キングコング:髑髏島の巨神(Kong: Skull Island)」。滑り込みで観て来ました。540席の丸の内ピカデリー3でしたが、最終上映回ということもあり20名程度の入りでした。観てよかった。間に合いました。何って言ったって、キングコングですからね。東アジアの雷雲に囲まれた絶海の孤島(このフレーズ、懐かしい)が、アメリカの偵察衛星で雲の切れ間に発見されます。資源を求めて調査隊が組織され、護衛にはベトナムから撤退するところだった、我が愛しのサミュエル・L・ジャクソン大先生が指揮を取るヘリコプター部隊が急遽派遣されることになります。物語は手に汗握る展開で、コングや他の怪獣(?)の動きなんかもいい感じです。
僕が楽しみにしていたのは、映画評論家の町山智浩さんが週刊文春の連載で書いていらした通り、SLJ先生がおきまりの一言「Mother f・・・」を叫ぶ前に、コングに叩き潰されてしまうという衝撃(笑撃?)のシーン。今か今かと待っておりました。
映画の冒頭、第二次世界大戦時の髑髏島に米軍機と日本軍機が不時着し、パイロットたちがコングに遭遇するシーンがあります。そこに、とても現代的な顔をした日本兵が登場します。誰かなっと思ったら、ギタリストのMIYAVIさんでした。なんだか、ストーリー展開のための登場人物が多いように感じるのですが、登場人物、一人一人がそこにいる意味をそれぞれが問うている映画だと感じました。

 

The Right Stuff。そこにいるべき人。正しい資質を持った人がいるべき場所にいるのでしょうか。キャメロットのような理想の場所でしか起こり得ないなら、求めても詮方ないのか。自分のこと。自分の周りのこと。いろいろ考えさせる3本の映画でした。

アマチュアのプロレスラー

昔、ある大学の学園祭に行った時のこと。プロレスのリングがあり、そこで結構、華やかなファイトが繰り広げられていました。闘っていたのは、どこかの団体に所属している“プロの”プロレスラーではなく、アマチュアの人々。レスラーの1人は有名プロレスラー、ボボ・ブラジルさんの名前を捩って、ボボ・ラブジルというリングネームでした。アマチュアのプロレスラー、ボボ・ラブジル(繰り返さなくっていい?)

そもそもアマチュアのプロレスラーとは、どのような存在なのでしょうか。インターネットの世界には、このような人たちがたくさんいらっしゃいます。

大型連休の間は、ほとんど他人のブログを読んでいませんでした。8日月曜になって、しばらくぶり、愛読(?)しているBLOGOSを見たり、インターネットの話題の記事を見たりして、面白い記事が山ほどあったので、なんとなく愚考とともに。

タイトルに誘われて読んだNewsPicksの投稿「素人の写真がプロの20倍以上の値段で売れる理由」。インスタグラマーによるブツ撮りサービスが好調だという記事ですが、中身は「へー、なるほどな」という内容です。でも、この文中で、筆者がご自分の活動のインパクトを「素人革命」と表現しているのですが、これなんか変。この「素人」とはどういう意味でしょうか。少なくとも、お金を貰っている時点で、プロなのではないでしょうか。納期を守り、請求書を出し、そこから生まれた所得に対して税金の処理をする。そして一番重要なことは、発注者から要求された水準以上のものを表現することですよね。素人の自分がプロに勝ったと言いたい?でも、それは素人だった自分が、プロとして新しい一つのビジネスモデルと作ったということでしかないのでは。革命ではないでしょう。写真のような表現の世界は、既存の感覚を乗り越えたものが出現し易い世界です。
また、文末に「パラダイムは刻一刻と変化しているのだ。」という一見、正しい、かっこいい表現のような文章でシメていますが、この文章にも違和感が有ります。パラダイムは「範」とか「物の見方や捉え方」というような意味ですから、一旦、確立しないと、それはそもそもパラダイムではありません。つまり「刻一刻」と変わっていくのなら、それはパラダイムではないのでは。「パラダイムシフト」という良く使われる表現は「革命的かつ非連続的に変化する場合、またはその変化のこと」という意味だとあります。(三省堂ワードワイズ・ウェブより)この文章、「刻一刻」という連続性を感じさせる言葉が入ってなければそれほど違和感は感じないのですが、せめて「新しいパラダイムが生まれつつある。」程度の表現が正しいように感じます。

BLOGOSで「TVの劣化を表すキンコン西野騒動」というタイトルの文章。ブログの内容とタイトルは若干、齟齬を感じますが、このブログも少々、意味のわからないものでした。問題を指摘するだけで、なんの解決策も提示していないからです。キングコングの西野さんという人はよくわからないのですが、このブログ、天に唾する発言ですよね。テレビが劣化しているとかはどうでもよくて、劣化した教育を受けた人が従事していることが問題なのではないでしょうか。少なくとも、筆者は大学教授ということで、教育者ですよね。メディア系の講座を持っているのなら、その卒業生は大丈夫なのでしょうか。少なくともこの先生は、ご自分がまともだと思う人を社会に出しているのでしょうか?まとめに「このディレクターのような作り手が制作の現場にいて、コンテンツであるタレントさんたちに現場で接してしまうことで、タレントのポテンシャルを引き下げ、番組のクオリティ低下を誘発させてしまう事例もあるのではないか」って。これはどんな職業でも同じでしょう。だから、どうすればいいのでしょう、あなたの危惧はわかったから、どうすればいいか教えてくださいよ、と思わせるブログの典型です。

おなじくBLOGOSで、ディズニーの映画「美女と野獣」の感想を書いていらっしゃるブログが、ピックアップされていました。個人的な感想文なので、内容は別に気にならないのですが、以下の一文に引っかかりました。

エマ・ワトソンさんも「ララランド」に続いて歌うシーンが多いのですが、本当に役に恵まれているというか、「フィールド・オブ・ドリームス」から「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の時期のケビン・コスナーを思い起こすような勢いです。

1つの大きな間違いと、少々疑問がある表現があります。そう、1つはエマ・ワトソンさんは「ラ・ラ・ランド」には出演していません。エマ・ストーンさんですよね、主演女優は。この人、本当に映画を見ているのかな???
それから、ケビン・コスナーに関する表現もちょっと変。『「フィールド・オブ・ドリームス」(以下、筆者略「 F」)から「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(以下、筆者略「D」)の時期』と書いていらっしゃいますが、公開年月が「D」は1989年、「F」は1990年。その間に公開されたケビン・コスナーの映画は2本。そしてどちらも、全く話題になっていません。どんな「勢い」だろう???たった1年間のこと?この文章、全く意味を成していません。気づかなかったのでしょうか。この文章だけ?日常的に?何でこの人の、このブログがピックアップされたのでしょうね。考えてみれば、BLOGOSの仕組みを知りませんでした。

ブログでも、何だかなぁ、という文章がありました。ボクシング未経験者が、日本人初の3階級制覇を果たした元ボクサーの亀田興毅さんに挑戦する「亀田興毅に勝ったら1000万円」という企画が、5月7日にインターネットテレビのAbemaTVで生配信されました。拝見してはいないのですが、確かに、おっどうなるんだ、と思わせる企画です。結果として、視聴者が殺到して、サーバーが落ちたとのことです。おそらく想定外の接続数だったのでしょう。想定できなかったんでしょうか。対策も持ってなかったのですかねぇ。
その数字に関しての関係者のブログで「歴史的一歩」って。自画自賛。感極まっていらっしゃるのかしら。でも亀田さんは失礼ながら、テレビの出涸らしキャラですよね。そのキャラを使った企画。テレビでは出来ないこと、ではなく、テレビではやらないこと、なのでは。彼らの目標は何なのでしょうか。テレビになりたいのでしょうか。タイムラインとして次々と消費される動画に大量の広告を着ける事が出来ればいいというだけのこと?一番気になったのは、サーバーが落ちたことを自慢しているように見えること。どうなんでしょう。少なくとも反省のお言葉はないですね。サーバー落ちを自慢するのは、10年前の感覚です。さらに社長の言葉を引用して「競合らしき競合は出る気配もない」。うーん、83億(2016年9月通期の連結決算発表から。AbemaTV単独ではないようですが。)の赤字事業ですからね。「現時点で収益を成り立たせようとは1ミリも考えていない」という事業に「競合」は出ないですよね。
ところで、業界内イベントでも、AbemaTVの方々は結構、どうかなと思うことを仰っていて、ある時、ご自分たちが「AbemaTVは世界初の24時間ライブストリーミング」とか、仰っているのを聞いたことがあります。そんなことはないでしょう。以前からありますよ。ウラを取りましょうよ、自分の発言の。

そして、ちょっと意地悪な横道逸れですが、間違い探しが楽しい「食べログ」。あるとんかつ屋さんについての口コミで、『小さいアサリが入っている味噌汁』とありました。って、アサリではなく、シジミでしょう。だって、シジミくらいのサイズのアサリが食用として流通するはずないもの。ここまでくると、何だかなぁって感じ。

既存の権威のようになってしまっているものを超えて、素人が新しい価値や感覚を容易に持ち込む事が出来るのが、インターネット時代(ちょっと古い言い回しですね)ならではの利点です。でも、素人であることが手段になると、WELQに端を発したDeNAのコピペ問題の病根と同じところに堕ち込みます。また一方で、実はプロが素人を装って、発言することが出来るのもインターネットです。使い分けているケースが結構ありますよね。責任者の一端に連なっているのに、実際に発生したことから都合のいいことだけを発表するのは、一種のフェイクニュースでしょう。
いやいや、「俺は、私はニュースなんて書いてない。ただのブログだ。」って?拡散されたいのでしょう。拡散されたら、それは受取り手にとってのニュースになります。だからフェイクニュース。特に“中の人”が書いたら。

ご存じかと思いますが、テレビや新聞の記者やディレクターは、記者やディレクターになるにあたって、なんらかの資格があるわけではありません。取材やロケなどの現場経験によって磨かれ、一人前になる。OJT(On the Job Training)を通してだけです。現場で育つ。このトレーニングの過程の中で、自分の原稿や番組は、何人かの目を通ってから世の中に発表されるのが、当たり前の段取りだと叩き込まれます。仕組みとしての校閲石原さとみさんのドラマのアレですよ)や試写です。これによって、最低限の間違いは(最近はそうでもないのですが、それはまた別の話。)無くなります。もちろん、たくさんの人が事前に目を通すことで、エッジが無くなったり、別の思惑に引っ張られたりすることもあります。でも、この課程で受ける厳しい批判や小さな賞賛が、一番、トレーニングになるのです。(念のため申し上げておきますが、既存のマスコミを賛美しているのではありません。悪しからず。)

人間の脳の最大の特徴は、ストーリーを作ること、と聞いたことがあります。(すいません。この話、ウラ取りしてません!)それが想像力や直感の元となり、結果として文明を発達させることが出来たのだとか。
何が言いたいのかと言うと、思い込みって、結構あるということを悟りましょうよ、ってこと。だから、発表前にせめて事実関係くらいは確認しましょう。
だって、ブログを書いてる皆さん、他人に見てもらいたいんでしょう。

マチュアのプロレスラーの一人として自戒を込めて。

 

5月12日、訂正箇所あります:言っておきながら、公開してから間違い発見。ディズニーのくだり、映画名の省略で「F」と「D」がごっちゃになってました。それから、サーバーエージェントさんの決算に関する記述で「通期」が「通気」になっていましたので、そこも修正しました。失礼致しました。

茶碗の中に何がある~茶の湯と日本の人事評価

先日、上野の東京国立博物館に特別展「茶の湯」、観に行ってきました。いわゆる名物揃いの展覧会です。平日でしたの、それほど混んでおりませんでした。でも、最近話題の国宝の茶碗「油滴天目」には人集りが出来ていました。

4月11日に始まったばかりですが、23日までしか展示されていない「初花(はつはな)」を見るのが最大の目的で訪れました。ご存じの方も多いと思いますが、「初花」は“肩衝(かたつき)”と呼ばれる、茶入れの小さい壺です。『重要文化財 唐物肩衝茶入 銘 初花』。肩の部分が水平に張っている様を“肩衝”と言うそうです。「初花」は、織田信長豊臣秀吉、そして徳川家康の手を経た名物、彼らがその手で触れ、愛でたものです。日本史の中でも、特筆すべき有名人の3人に仕え、茶の湯の歴史に名前を遺す大名・茶人、古田織部(ふるたーおりべ)を主人公にした漫画「へうげもの」の愛読者で、この肩衝の来歴を知っているものですから。“楢柴(ならしば)”、“新田(にった)”と並んで天下三肩衝の一つと思うと結構、感激しました。オカルティックな意味ではなく、彼らがこれを包む手が見えたような気がしました。そして、無機物である陶器にもし、目鼻などの感覚器があり、記憶があるとすれば、「初花」は信長、秀吉、家康の顔を間近に見たはずだと感じました。

chanoyu2017.jp

さて、その感動の後にふと考えたことがあります。耐震ケースに入って、スポットの当たっている「初花」を見て、「素敵ねぇ」とか「綺麗ねぇ!」と嘆息を漏らしている方々が結構いたのです。どういう意味なんでしょうか。

この「初花」の価値は、どこにあるのか。先ほど申し上げたように、信長、秀吉、家康の手を経たことが一番の価値だと思います。もちろん技巧的な意味で全く「素晴らしくない」というほど、野暮ではありません。でも高度な技術で作られたとか、なんだかわからないけど芸術性が高いという品ではないですよね。カタログにも「中国南方で作られた日用品の褐釉小壺が日本で唐物茶入れとして珍重されました。(中略)命銘は足利義政と伝わります」とあります。そのもの自体の価値ではなく、歴史を経たという価値を纏っていることが大事なはずです。(それにそもそも、信長や秀吉が持っていたものと同じか=本物か、はわからないという意見もあるようです。)

骨董には、これは誰々が持っていたかなどを箱に記する習慣があります。箱書きですね。由緒を証明するものです。辞書にも「書物・器物などを入れた箱に題名・作者などを記して、その中身を示すこと。また、その文字。」とあります。お見合いの釣書、履歴書の添え状、ですね。それによって、そのモノの真贋を証明し、価値を説明しています。
中国では日本のような箱書きは生まれなかったようです。ただ、書画に直接書き込む「讃」や「題跋」が真偽鑑定に重要な役割を果たします。

 

世界一高いワイン「ジェファーソン・ボトル」の酔えない事情―真贋をめぐる大騒動

世界一高いワイン「ジェファーソン・ボトル」の酔えない事情―真贋をめぐる大騒動

 

ヨーロッパ圏やアメリカではどうなんでしょうか。ロンドンでワインのオークションに参加した時、たしかロシア皇帝のワイン倉で保存されていたシャンパンだか、シャトーディケムだかが出品されていました。すごい値段で取引されたのを、眼前で見ました。また、有名な事件として、「ジェファーソンのワイン」という詐欺事件がありますね。アメリカ建国の父の1人、政治家・博物学者のトマス・ジェファーソンはワイン愛好家として知られ、そのコレクションはなかなかのものだったそうです。そのジェファーソンが所有していたとされる赤ワインが発見され、これまたオークションでスゴい値段がついたのですが、実は偽物だったという事件です。そのものの価値ではなく、そのものが持つオーラのようなモノに価値があるという例の一つです。

 

 そう、千利休という人は価値を作った人です。古田織部もそうですよね。茶の湯のシステムを構築した人たちは、スゴいものだというオーラを纏わせることで、価値が出来ることに気づいた。そろそろラストスパート感のある漫画「へうげもの」を読むと、『凄い人が、これは凄いと言ったので、これは凄いものだ、という褒めの連鎖』が、伝統と価値を作っていく課程が、わかりやすく理解できます。利休には、秀吉の茶頭であるという自分の評価を商売に利用したという悪口もあります。それに、フィリピンの日用品でどこにでもあった壺を、船で堺の港に運んで、高い値段をつけて大名に売ったとも言われています。これは呂宋の壺という例えで呼ばれて、堺(大阪)商人の逞しさの象徴として、今日でも語り継がれています。

これって、日本の会社の中の、誰誰さんの派閥、後輩として知っている、みたいなことと似てません?日本の人事評価システムも推薦人が結構大事だっていうこと。誰が“後見人”なのかとか、“本籍地(=最初に配属された部署)はどこなのか”なんてことをずっと言い続ける会社もありますね。会社の中でエラくなった人の奨める人は、優秀な人材だとされる。
でも、推薦って難しいですよね。超卑近な例では、男子が「あいつはスゴくいいヤツ」と言う男子、女子が「とってもいい子」と呼ぶ女子は、それぞれ異性から全く評価されない(=評価が低い)というケースを思い出します。(ちょっと違うか!)
一方で、社内や国内のグループで評価されていなかった人が、外国で評価され日本に戻ってくると、突然、日本でも評価されるケースが発生します。別の箱書きをもらった人ですね。一時は、MBAなんて箱書きが流行ました。

横尾 いちいち担保を取っていたんですか?

國重 取らないことも多かったです。企業に融資する場合は、プロジェクトの中身もろくに調べずに貸していました。私が役員になって支店長をしていた時代、ある会社に「裸」で4億ほど貸したことがあります。「裸」というのは無担保、無保証のことで、「何かあったら俺が責任を持つ」と言って貸した。ところがその会社は潰れてしまって、結局カネは返ってこなかった。

横尾 責任は取らされたのですか。

國重 副支店長以下、部下は減給とか戒告処分を受けました。ところが私には何の処分もなかったんです。なぜなのか人事部に聞いてみると、役員は処分しないんだ、と。「役員を処分すると、その人を役員に引き上げた経営会議のメンバーの能力が問われてしまうから」とのことでした。

引用元記事:                          野村證券×住友銀行 今だから話せるバブルの「武勇伝」と「教訓」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51479 #現代ビジネス

バブル期の金融機関の内実を当事者が実名で綴った話題作「野村證券第2事業法人部」と「住友銀行秘史」。それぞれの著者、元野村證券の横尾宣政さんと元住友銀行の國重惇史さんの対談が講談社のサイト、現代ビジネスに掲載されていました。

gendai.ismedia.jp

國重さんが役員で支店長だった時に、自分の支店で億単位の焦げ付きを出した時のことだそうです。「役員を処分すると、その人を役員に引き上げた経営会議のメンバーの能力を問われてしまうから」、役員は処分しないって、つまり誰かさんが選んだ(=という箱書きがある)人を処分すると、その誰かさんの能力が問われるから、ってことですよね。能力を問えばいいじゃん。能力を問うて、責任を取らせないから、ダメなんじゃないですか。

  

茶碗の中に宇宙がある、とは誰が言った言葉でしょうか。茶碗の中には、オーラが満たされているのですね。歴史の澱。箱の中にも澱が溜まっているのでしょう。

そうそう、箱書きだけの展覧会なんてどうでしょう。名品の箱書きだけを見るなんて、ちょっと面白い。日本社会で次に流行る箱書きはなんでしょう。

 

映画の音〜仲代さんの音

 

 

テレビをザッピングしていると、思わぬシーンに遭遇します。今回はそんなお話。

子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎」(1974年公開)をWOWOWでチョイ見しました。深夜のザッピングの途中でしたが、あまりの展開に釘付けになりました。
雪の斜面で、橇となった大五郎の乳母車に乗った若山富三郎の拝一刀が猛スピードで滑降しながら、これまたスキーで滑降しながら襲いかかる柳生軍団と闘う、映画のクライマックス。立木を背にして、集団攻撃を受ける拝一刀の前に柳生の手練れが5~6人一列に並び、1人の様に振る舞いながら、2人目が前の1人目を飛び越えて、拝一刀に襲いかかる様は、まるでZOO(雪の斜面ですから、EXILEではなく、ZOOでしょう)の名曲「Choo Choo Train」の隊列で、「機動戦士ガンダム」第24話(1979年9月15日放送「追撃!トリプル・ドム」)に登場するモビルスーツパイロットチーム、黒い三連星が使用した攻撃フォーメーション『ジェットストリームアタック」を仕掛けているではありませんか。これは縦一列に並び、正面から見ると1人だけが向かってきているように見える態勢。拝一刀は、もちろんアムロ・レイのようにビームサーベルではなく、愛刀の胴太貫で見事、全員ぶった斬ります。そうだ!この「子連れ狼」シリーズ放送事前特番で日本の映画史、時代劇研究家の春日太一さんと映画評論家の町山智浩さんが、対談で言っていたのはこれか!と。確かに「ジェットストリームアタック」ですが、僕はそこに「Choo Choo Train」を加えたいと思います。それもZOO版。

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この雪のシーン、撮影の関係でしょうか、同じカットを編集で多用しています。そこに人をぶった斬る音も含めて、ずっと「どわー」「ごわー」「ずわー」という様な音響効果が付いています。

映画はちょっと前まで、ほとんど全てがアフレコでした。基本的に編集が前提のため、また撮影するカメラのフィルムが回る音が大きかったこともあり、お芝居と台詞を一緒に収録出来なかったので、お芝居を撮って、その際に役者さんの台詞とそのニュアンスを記録し(映画スタッフの中の「記録」というお仕事の業務の一つです)、映像の編集が終わってから、当然ながら同じ俳優さんが自分の芝居に合わせて、台詞を言います。そして、そこに情景に合う音を付けます。音を足すのではありません。現場の音はほぼ全く使えません。全ての音を「付ける」のです。

 

マルタイの女<Blu-ray>

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アフレコって、難しそうですよね。伊丹十三監督作品「マルタイの女」(1997年公開)。三谷幸喜さんが脚本に参加していて、最終的には企画協力で名前を連ねています。そのせいか、三谷さん縁の俳優さんが多数出演しています。準主役の立花刑事役の西村雅彦さんがアフレコが苦手だというのが、DVDからもわかります。リップシンクがなんか微妙。伊丹さんが諦めたとは思えないから、かなり追い込んだのでしょう。そう思うと、津川雅彦さんや宮本信子さんはやっぱり上手い。映画全体もすごく整音されていて、手塚治虫先生の漫画じゃないけど「シーン」という静寂の音(?)も付けられているように感じます。伊丹さんの映画は、この「マルタイの女」が遺作となりました。残念です。

 

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最近、黒澤明監督の「乱」(1985年公開)の4Kデジタル修復版を見ました。公開から30年経っての修復版ということですが、公開当時に劇場で見た記憶と比べても、あまりその効果は感じられませんでした。Wikipediaにもある有名なエピソードですが、畠山小彌太役の加藤武さん(市川崑監督、石坂浩二さん金田一耕助シリーズの警察幹部役で「よしっ!わかった!」という台詞、ご存じじゃありませんか?)が撮影中に落馬して骨折し、アフレコが出来なくなってしまったので、親戚である声優の加藤精三さんがアフレコしています。星一徹です。結構、いいですよ。不思議なもので、気にして見ていたら、ちょっとだけ違和感(というと失礼ですね。)がありましたが。

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カメラもデジタル化されたり、録音技術も高度化してきたこともあり、この音の世界も変わってきています。中でも「レ・ミゼラブル」(2012年公開)の歌(全編ほとんど歌なので、台詞と同じことになりますね)は、同録だということでかなり話題になりました。実はかなり、画期的なミュージカル映画なのです。というのもミュージカル映画は先に歌を録音して、それに合わせて口パク(歌っているようにお芝居すること)するという方法で制作されてきました。でもこの映画では、俳優が現場で歌っている音声をお芝居と一緒に映像に収めています。本当に歌っているのです。

ミュージカルと言えば「La La Land(ラ・ラ・ランド)」。日本でもリピーター続出の大ヒットの様です。iTunesではサントラが売れているそうです。僕も買いました。アメリカではアナログ版も売れているとのこと。この映画の収録は口パク方式でしょう。音楽を担当した作曲家ジャスティン・ハーウィッツさんは監督デミアン・チャゼルさんとハーバード大学同級生。音楽作りはかなり上手です。アレンジにフルートが結構使われています。フルートって、古くさいアレンジになります。人の声に近い音域なので、歌の周りに纏わり付いて、うるさい感じになるのですが、逆にそれがちょっと古い感じというか、伝統的なミュージカルの音楽の感じを出しています。タイトルチューン「Another Day of Sun」の46秒あたりからの4小節が「藤田ニコル・つまんねぇ・ホットバス(hot bath)・平井堅」と聞こえます。空耳。結構気に入ってます。
俳優、ご存じ仲代達矢さんが「ロサンゼルス(LA)では、たくさんの俳優や歌手の卵たちが、ウエイター(waiter)をしながら、その日が来るのを待ってる(=ウエイト:wait)んだよ」と言ったと、無名塾の弟子である滝藤賢一さんがGOETEの連載に書いてました。さすがいいコト仰る。

 

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

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ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック(スコア)

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最近気づいたのですが、映画での仲代達矢さんの音。声ではありませんよ。仲代さんが発する音って、独特ですよね。ところで、仲代さん、Twitterを始められたそうです。一度、原稿用紙に書いて、それをスタッフさんが入力しているんですって。
そうそう、仲代さんの音。ちょっと前にこれまたWOWOWで、テレビ出身の映画監督としての先駆け、五社英雄監督特集をやっていました。「御用金」(1979年公開)と「雲霧仁左衛門」(1978年公開)を見ました。どちらの劇中も、主役の仲代達矢さんが人を斬る時の声がなんとも言えず凄い。「どぅ」というか、濁音+息みたいな音を出しながら、人をぶった斬ります。盗賊である主役の仁左衛門を務めた「雲霧仁左衛門」の1シーン、火付盗賊改の中でも一番の居合いの使い手である同心(室田日出男さん)との対決シーン。彼が駕籠に乗っている時に田んぼのあぜ道、それも一本道で、駕籠ごとぶった斬ります(駕籠を正面から上と下に!)。乗っていた同心の首があぜ道にゴロリと、思いきや、同心は事前に雲霧の襲撃を察して、駕籠かきに紛れていたのです。仁左衛門は、同心を田んぼの泥濘に誘いこんで、居合いの踏み込みを封じて、突き殺します。このシーンの、仲代さんの息遣いともなんとも言えない声。しかしアフレコかな、どうやって合わせたんだろう。さすが。仲代さんの音です。

 

あの頃映画 「雲霧仁左衛門」 [DVD]

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でも、動きの芝居だけでもスゴいんです。肉をタレに揉み込み、(おそらく)七輪で焼き、口に頬ばるまでを、無言で動作だけで見せる1998年のCM。つまり“エア”焼き肉なのですが、弟子たちがまるで本当に食べているように見えるので驚愕の声を上げるという、焼き肉のタレのCMです。
音もスゴい、そして音が無くてもスゴい、84歳の仲代さん。これからも、お芝居を見せてください。

スマートなスポーツ観戦はスマートなアプリから

子どもの頃、ヤクルトファンでした。よく神宮球場へ行ったものです。弱いチームだった頃でしたので、球場は空いてました。ある時のことです。対戦相手は忘れましたが、何故かその試合はラジオ中継が行われていたのです。ふとラジオのスイッチを入れ、実況中継を聴きながら試合を見ると、とてもよくわかることに気付きました。そう、野球を野球場で見ながら、ラジオの実況放送を聴くことがこんなに素晴らしいなんて!きっと僕しか気づいていない、大発見だと思いました。しかし、家に戻って、父に勇んで話したらところ、一言で否定されました。無駄だと。ラジオの電池の無駄と。

最近のIT業界のトレンドのキーワードの一つに「スマートスタジアム」があります。インターネット環境を整備し、観客が発信しやすくしたり、スタジアム内向けのコンテンツ配信を行って観戦の際の満足度を高めることが出来るようスタジアムにすることです。Jリーグも例のDAZNのお金があるので、スマートスタジアム化が急務だとして、取り組んでいるようです。でも、生で見る以上の価値を見いだせないと、僕の父の一言、「無駄」で終わってしまいます。

ほとんどテレビで見る程度にしか、縁の無かったスポーツでしたが、ここのところ、仕事柄ではないのですが、スポーツ観戦の機会が結構増えました。昨年10月にイギリス・ロンドンのエミレーツ(Emirates)スタジアムで、プレミアリーグサッカーのアーセナル(Arsenal FC)対サウザンプトン(Southampton FC)の試合、12月にはアメリカ・サンタクララのリーバイス・スタジアムでアメリカンフットボールNFL(National Football League)のサンフランシスコ・フォーティーナイナーズ(SAN FRANCISCO 49ERS)とニューヨーク・ジェッツ(New York Jets)の試合。人生で初めてのアメフト、それも生の試合でした。そして日本でも、横浜でクラブワールドカップ2016の決勝戦鹿島アントラーズレアル・マドリード(Real Madrid Club de Futbol)を見る幸運に恵まれました。つい最近も、仙台でJリーグベガルタ仙台ヴィッセル神戸の試合を見て来ました。

NFLは、このスマートスタジアム化に熱心で先進的です。カルフォル二ア州サンタクララのリーバイス・スタジアムで、「スマート・スタジアム」を体験してきました。シリコンバレーのお膝元として、2014年に改装された際に最新のスマート技術が導入され、昨年の第50回スーパーボール(Super Bowl)の会場となったスタジアムです。

その目もくらむような高さの3階席で試合を見ました。場外のデジタルサイネージで、インテルが360度映像のデモを流していたりして、本番での映像を期待しましたが、実際はハーフタイムに犬がフリスビーを空中で咥えるショーだけに対応していました。犬の妙技、360度映像で見ると、結構、面白い。

観戦には、このスタジアム用のアプリを事前にダウンロードすることがマストです。スタジアム内のWi-Fiに接続します。超高速感。アプリから食べ物が注文でき、届けてもらうことも出来、さらにその待ち時間が表示されたり、はたまた直接買いに来た方が早いと表示されたり、さらに会場の大スクリーンにも投映されているプレイバック等がアングルを選んで見ることが出来たり、アプリが大活躍します。映像は観客が少なかったせいかはわかりませんが、表示もサクサクでした。今年の第51回が行われたテキサス州ヒューストンのNGRスタジアムも、来年第52回が行われる予定のミネソタ州ミネアポリスのU.S.バンク・スタジアムもスマートスタジアム化されており、それぞれのスペックを見ると、このリーバイス・スタジアムを標準としている感があります。(ちょっと面白いデータがあります。第50回、51回ともほぼ同じなのですが、WiFiの同時接続ユーザー数が全観客のおよそ50パーセントなのです。これは接続上限の設定に参考となる数字ですね。)

リーバイス・スタジアムのアプリは、Venue Nextというベンチャー企業が手がけています。NFLダラス・カウボーイズの本拠地AT&TスタジアムやMLBのニューヨーク・ヤンキースヤンキーススタジアムなどとも契約して事業拡大しているようです。確かにアメリカでは、エンターテインメント施設やイベントでのアプリ導入はトレンドになっています。ご存じの通り、ラスベガスで行われるCESやNABと言った巨大展示会では必ず専用アプリが公開されています。
何かを見ながらのアプリと言えば、放送が見ながら使うアプリ、コンパニオンアプリの開発が一時、流行していました。特に日本では。しかし最近、放送局によるコンパニオンアプリの開発は縮小傾向にあります。例えばイギリスの公共放送局BBCはいくつかの実験の結果から効果無しと判断して、開発を数年前にストップしています。その理由を訊いたことがあるのですが、テレビスクリーンを見ながら、もう一つのスクリーンを見させるのは無理があるとのことでした。テレビを見ながら、メールを送ったり、SNSに投稿したりするのは当たり前ですが、テレビスクリーンと併走するのは無理とのことですね。日本では、NHKの紅白歌合戦のアプリ以外には、効果があった例はないでしょう。おそらく世界で唯一の効果例かもしれません。
さらに、Wi-Fiもさることながら、携帯電話のインターネット網もサクサクで、輻輳感はまったくありませんでした。これはベライゾンが導入しているDAS(Distributed Antenna Systems)と呼ばれる分散アンテナシステムの効果だとか。DASは、AT&TやSprintなどの他の携帯電話事業者の回線に対しても有効だと言われています。

今年の中継局FOXテレビが、生中継放送の中で使った「Be the Player」という呼称のサービス。先ほど犬のショーで使われていたと書いたインテルの技術を応用しています。元々は、インテルが買収したReplay Technologyという企業の360度リプレイ映像技術。バスケットボールでのテスト映像も見たのですが、シュートした瞬間の映像を、コートを取り囲むように配置された36台の4Kカメラから得られた映像情報をクラウド上で処理し、360度映像を瞬時に作画できるというものでした。ダンクシュートした選手が空中でストップモーション。そしてぐるっと回転して、反対側からのアングルで見られます。マトリックスですね。生放送に使えるように作画できるとしていました。しかし今回は、このような360度動画ではなく、制止画でクォーターバックがパスする際の目線の表現などに使われていたようです
日本に来ていたNFLの映像には含まれていなかったので、自分の目では見られませんでしたが、アメリカに住んでいるスポーツデータ業界の友人に感想を訊きました。さして印象無しとのこと。やはり放送での表現が静止画どまりだったからでしょうか。
この手の技術は、生中継の放送向けでもあるのですが、放送となると、一手間も二手間も増えます。放送画質に作画しなければなりませんし、得点に関するものでしたら、間違いがないよう画面に出す前にチェックも必要です。しかしスタジアムに来ている観客の手元に配信する程度でしたら、さして手間がかかりません。
360度映像は、先ほど述べたようにリーバイス・スタジアムではハーフタイムショーで活用されていましたから、NGRスタジアムの本番では何故使わなかったのでしょうか。

日本でもアメリカでも、スポーツ業界の共通の悩みは、視聴世代層の偏り。若者が付いてこないこと。それをなんとかするために、スマートフォンを手放さないライフスタイルの若者たちを惹きつけるために、スマートスタジアム化することを選択しました。

生で観戦することがスポーツの醍醐味です。その時、手元で見ることが出来る情報は何がいいのでしょうか。売店やトイレの情報は当たり前、「あっ。これだね。」とインパクトのある一つが発見出来れば、それがキラーコンテンツとなります。まだまだ見つかっていないと思います。そして、それを届ける素敵な、スマートなアプリも日本にはまだありません。「無駄無駄無駄無駄」と連呼されないよう、頭を使い続けましょう。