これって本当?〜「社長に相応しくない人の条件」

会社経営って、トンデモ理論でなんとかなる世界なのでしょうか。一見、科学的、論理的、理性的に見えて、実はトンデモな主張が、会社経営の世界には結構見られます。ここ数年で、僕がすごいと思った会社経営トンデモ理論は「ソニーの社長は理系でなくては務まらない」かな。小さい話では「インターネットがわかるのは若い人だけ」かな。言っておきますが、僕はソニーの出身者ではありません。悪しからず。

日本社会が停滞しているせいか、新たな出口を見つけるために、どうやら「サイエンス的」に数値に現れるものが正しいという“憧れ”が蔓延しています。「言語化できる」とか「再現できる」などの理系というか科学実験的概念がキーワードです。言い換えると「言語化して引き継げる=誰でも再現できる=属人的ではない=知識を平準化できる」みたいな会社内用語に変わります。これらの言葉が多用される会社は、「コンプライアンス」という言葉が「上司の考えを忖度」という態度に変換される会社です。

「若い人がデジタルがわかる」ということを、エラい人が言っていたら、その会社は遅かれ早かれ、滅びます。決定する立場の人が、自分がわからない、自信がないから、「わかる」若い人に任せという判断をしたという自分に酔っているだけです。また僕の経験上、こういうエラい人は、会議でやたらと「情報が足りない」、「これだけでは決められない」と言って、決定を先延ばしします。この程度の判断、AIに代行させたほうがマシです。だいたい、デジタルネイティブという層があると本当に信じているのでしょうか。「デジタルネイティヴ(という層が存在する【筆者註】)という仮定は幻であるという研究結果(The myths of the digital native and the multitasker :Teaching and Teacher Education, Volume 67, October 2017, Pages 135-142)のサマリー」なんて記事、ありましたよ。

ソニーのトップの話も一緒のような気がします。たいして論理的ではないのですな。感情的な話。ソニーって「SONYのトップは理系でないと務まらない」と主張する人たち、特にOBたちがそんな意見を本にしたり、発表したりする不思議な文化を持つ会社ですよね。でも、「SONYが2017年度第1四半期で過去最高の営業益」なんてニュースが出ると、そんなOBたちは口を閉ざしてしまいます。現金な人たちだ。6代目社長の出井伸之さんが理系でなく、初の文系のサラリーマン社長だったため、それ以降ハワード・ストリンガーさん、そして平井一夫さんが受け継ぐ「AV/IT路線」を否定し、会社の業績の悪化と絡めて、俺の愛するソニーをダメにしやがって、と文句を言い続けるなんて。出井さんがソニーをダメにした張本人だとという戦犯説は根深く残っています。

海外勤務者(=お金にルーズ)と非エンジニア系(=技術や製造に明るくない)は、電気メーカーのトップにはふさわしくない。相次ぐ、日本の大手企業(ソニー東芝)の凋落の原因に、社長に相応しくない人を、時代の空気に流されて選んだからだという人がいます。
でも根本的な原因が他にあるような気がします。

東芝の悲劇

東芝の悲劇

 

 
最近読んだ保阪正康さんの「帝国軍人の弁明:エリート軍人の自伝・回想録を読む」(筑摩選書)。書中に、保坂さんが考えた日本の軍事組織の5大欠点(もしくは弱点)が列挙されておりました。これを読ませていただいた時、はたと膝を打ちましたね。詳しくは、是非、本書を手にお取り頂きたいのですが、以下の2点は特に感じ入った点です。
1)主観的願望を客感的事実にすりかえる。
(=ウチの会社はスゴイ。または俺はエラい。)
2) 知識の獲得が偏頗で人文科学に無知である。(=要するに教養がない)
これに当てはまる人いませんか、あなたの会社のエラい人の中で。

 

これって本当?〜時間を懲罰の道具にする文化

過労による病死または自死が問題となっています。電通を責めていた公共放送NHKも同じ穴の貉だったことで、第2ステージに入った感があります。

勿論、人が亡くなったり、身体を壊したりするのが当たり前だという会社はアウトです。でも、そこまでして働いて、生き残った人が地位や給与に於いて、ピラミッド型社会の上位に位置すること、それこそがサラリーマンの自己実現だとする、日本の戦後を築いてきた考えの一つではないかとも思います。

 

僕がサラリーマンだった時に関わった上席の人を思い出します。時間という締め切りを巡って、全ての習慣が形作られていたような会社でした。つまり、寝なくて当たり前。24時間働くのが普通だった時代ですから。今から考えると、時間を懲罰の道具のように使う人たちが、ピラミッドのより上位に位置しておりました。

僕が“お世話になった”お2人とも、結構エライ人でした。共通していたのは「俺は聞いてない」と「俺はそうは言ってない」というセリフが、結構その人たちの口から聞かれたこと。「コンプライアンス」という言葉を愛し、忖度を“要求”する人、ですね。やれやれ。


1人目は、1日2食という自分のスケジュールに合わせて、全ての業務を発注する人。お昼ご飯は食べないのが習慣。通常は休憩時間である12時から13時という時間帯も業務時間に含めることを、部下にも当たり前とさせていました。特に、資料などペーパーの修正については、このルールがかなり厳密に適用されていたように覚えています。

 

2人目は、24時間全てを仕事に充当することを求める人でした。そして、自分が全てを把握していないと気がすまない人。この人は、部下たちが次々と辞めて行ったり、身体を壊してしまうことが続くことで知られておりました。僕が直接被った例では、翌日の朝の会議に向けて、前日18時頃に説明した資料について、根底からのダメ出しをくらい、明日の朝の会議まで16時間あると言って、資料をつっかえされたことを覚えています。勿論、会社ですから、まともな成果物を求めるのは当たり前です。でも、その人、結構難しい人で、僕にとっては意図がよく分からない、どの方向に持っていけば納得するのか分からない上司でした。さらに僕は、所謂、「悪魔の証明」を求める人だと感じてました。一般的には「悪魔の証明」とは、起きないことや、存在しないことを証明することは困難であるという詭弁(術)の一種。想像力が逞しいのか、新規事業の提案に対して、「◯◯なこと(リスクになりそうなこと)は絶対に起きないのだろうな」という言質や証左を求めるので、若干辟易していたのも事実。「絶対」って、あなた、それは無理でしょう。

 

このお2人には、当時は、大変だとは思っていましたが、それなりに頑張って対処していました。お前が間抜けな社員だったからと言われれば、反論の余地もありません。お前を育ててやる、という意図で、厳しく対応されていたのかもしれません。
でも今になって考えると、24時間全てを会社に捧げることを要求することで、結果として時間を懲罰の道具のように使うことに長けていた人たちだと思います。

人材育成の方法として、本人の能力を少し超える課題を与えるという方法は一般的なものです。また、効率という面の向上を考えて、時間を限るという方法もあるはずです。これは、最初は時間内に収まらないということも含んでいる、未来のための“負荷”を与えるという方法です。もしかしたら、このような人材育成方法は、過去のものとなるかもしれません。時間を懲罰の道具に使わない人材育成。
いずれにしても、前述のようなエライ人たちは、まだ会社に生き残っています。文化は身体に染み込んでいるもの。あの会社が変わるには10年単位の時間が必要になるのかもなぁ。 

これって本当?〜「フォーマルな時は長財布」

カード入れとマネークリップの機能を持つ、ある商品を買おうかとアマゾンを覗いていました。クレジットカードと紙幣を持ち歩くための最小限の構えとして、です。そこで、前々から引っかかっていたことをコメントに発見しました。「フォーマルな時には長財布なので」。それってどういう意味?フォーマルな格好というと、タキシードや燕尾服が思い出されますが、その際に長財布をどこに入れるのでしょうか?まさか尻ポケット?

ネット上にある、これ買った、あれ買ったと、自分が買った商品を見せる(=自慢する)スレにも、よくあるのですが、「リッチな人は長財布を持っているので、自分も買った」、「やっと追いついた」みたいな書き込み、また「スーツには長財布ですね」などという商品コピー。

これはある層の人たちの思い込みなのでは。だって、少なくともお金をたくさん持っている知り合いの中で、長財布なんて使っている人、見たことがない。特にクレジットカードを使うことが多い、昨今ですから。


財布の大きさがリッチ度合いを表すという感覚。多分にアジア人的な感じもします。どうなんでしょうか。またお札を折らないのが良いというのも、同じようなメンタリティを感じます。たっぷり1万円札が入っているので、財布が立ったなんていう映画黄金期の俳優の逸話が、リッチなイメージの元なのでしょうか。 そもそも、フォーマルな財布、などという概念が間違っていると思います。男性用のフォーマルなカバンというのもありませんよね。フォーマルという概念の格好の時、男性は手ぶら。パーティ用のバッグは女性が持つものがメインで、最低限のもの、そうお化粧直しの道具程度しか入らない大きさです。最近では必需品として、スマートフォンが加わるくらいでしょう。長財布が付け入る余地がない。だいたい、そんなに現金を持って歩くのかしら。
2016年11月には、インド政府は500ルピーと1000ルピー(1630円程度)紙幣を廃止すると発表しました。それも、その発表からわずか4時間後に、紙幣として無効になると。理由は、ブラックマネーの撲滅と現金経済からの脱脚です。アメリカの1000ドル札、EUの500ユーロ札にも、廃止の意見があるそうです。日本の1万円札だって同様。高額紙幣の廃止議論は、ちょっとしたブームです。
そもそも、アメリカやヨーロッパの街中でそんな高額紙幣はお目にかからないからでしょう。以前、10年程前でしょうか、フランスのカンヌの海岸べりにあるマクドナルドで、500ユーロ札で支払いをしようとしていた中国人が、店員に断られているのを目撃しました。でも、その中国は、今やご存知の通り、都市部では現金決済は過去のものになっています。
高額紙幣はそれなりの大きさです。少額になればなるほど、紙幣は小さくなっているのは、万国共通です。今後、大きな紙幣が減っていくでしょう。つまり、お金の姿が変わるとすれば、財布の姿も変わっていくはずですよね。
僕が歯のケアに通っている銀座の歯医者さん。治療代をBitcoinで支払えると、受付に掲げてあります。Bitcoinなど仮想通貨は、そもそも実体はありませんから、入れ物も必要ない。予約で行くので、待合室に座っている時間がわずかなのですが、その支払いの瞬間を見てみたいと思っています。そして、その方がどんな財布をお使いなのか、ものすごく興味がある今日此頃です。

最先端は最初につながっている

7年前の今頃のことです。2010年7月25日、ロンドンでのイベント「ハイボルテージフェスティバル (High Voltage Festival)」でELPエマーソン・レイク&パーマー)の最後のステージが行われました。そのDVDが手元にあるのですが、お世辞にも素晴らしい演奏とは言えません。往年の名曲ばかりですが、キースのミスタッチが目立ちます。ちょっと悲しい映像でした。キースとグレッグが2016年に相次いで他界してしまったので、もうELPは見られません。

2016年3月7日に東京のサントリーホールで、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会がありました。指揮は佐渡裕さん。マエストロ。2階の隅の席の切符を買ってありました。「タルカス」がプログラムの2 曲目にあったからです。佐渡さんの指揮で聴く機会にやっと巡り会いました。
演奏が終わり、客席にいたオーケストラ版のアレンジを行った吉松隆さんが紹介されました。さすがにキース・エマーソンはいないだろうと、客席を見渡しました。そのキースが自ら命を絶ったのが2016年3月10日。符合ではありませんが、何かがそこにあるように感じました。

ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル 2010【日本語字幕付】 [DVD]

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「タルカス」は1971年に発表されたELPの2枚目のアルバム。7曲が連なる組曲になっています。吉松さんはこの作品を、「20世紀初頭の現代音楽と20世紀後半のロックとを繋ぐ〈ミッシング・リンク〉に当たる 重要な作品」として、キース・エマーソンにも許可を得て、オーケストラ版を編曲します。とても興味深いことを書いていらっしゃいました。「カール・パーマーが叩いているドラムのパートを6人か7人くらい(のパーカッションに)バラして、綿密なスコアにして、初めてコントロールできるリズムセクションとして機能するようになる」(文藝別冊KAWADE夢ムック「エマーソン・レイク&パーマー 鍵盤の魔術師の伝説」より) 

タルカス

タルカス

 

 

 
2010年に発売された初演のライブ録音。(2010年3月14日 於東京オペラシティコンサートホール)。オーケストラは東京フィルハーモニー管弦楽団。指揮の藤岡幸夫さんが、「はぁっ!」と最後のタメのところで声を漏らすほどのスリリングな演奏です。

この「タルカス」は、NHK大河ドラマの51作目、2012年に放送された「平清盛」の中で使われています。大河ドラマならではの重厚なタイトルバックに、縦書きの「挿入曲『タルカス』より『噴火』」、「作曲キース・エマーソン」という文字に心が躍りました。主演の松山ケンイチさんは奮闘していましたが、視聴率に苦戦し、打ち切りとも言われて、ドラマ自体は僕もあまり覚えていません。

タルカス~クラシック meets ロック

タルカス~クラシック meets ロック

 

 

NHK大河ドラマテーマ曲は、毎回、どんな曲なのか、初回放送の楽しみの一つです。最近では2016年の第56作「真田丸」の服部隆之さんの曲は、出だしのバイオリンから衝撃的でした。また古くは、1964年の第2作「赤穂浪士」。芥川也寸志さんの作曲のボレロ形式のテーマ曲は、今聴いても斬新です。大河ドラマではありませんが、中村吉右衛門さんが主役の1986年のドラマ「武蔵坊弁慶」。このテーマ曲もボレロ形式です。芥川さんの曲。悲劇で終わる時代劇に描かれる人の業。ボレロはぴったりです。

毎度、脱線します。いわゆる朝ドラ、朝の連続テレビ小説ひよっこ」の音楽は宮川彬良さん。細部まで作り込まれた脚本にふさわしい。音楽が何かを語っています。お父さんの宮川泰さんは「恋のバカンス」(1963年/ザ・ピーナッツ)や「宇宙戦艦ヤマト」(1974 年)等で知られています。音楽的な遊びに溢れた方でした。僕だけが気づいているわけではないと思いますが、なぜだか「ウナ・セラ・ディ東京」(1964年/ザ・ピーナッツ)と「真っ赤なスカーフ」(1974年/ささきいさお)は、どちらのメロディでもどちらの歌詞で歌えます。「ジャンジャン」というコントのオチになる音楽効果を作った人でした。彬良さん、お父さんを越えた感じがします。

テレビの初期にドキュメンタリーというジャンルを確立した「新日本紀行」。音楽は冨田勲さん。当時はスタジオミュージシャンという存在がほとんど無かったので、NHK交響楽団から集められたメンバーが、編集の終わった素材を見ながら、ほとんど生で音楽を当てていたとのこと。
冨田勲さんは、ムーグのシンセサイザーを初期に日本に持ち込んだ方です。個人輸入して、税関に用途を説明に行ったそうです。パッチ式の巨大なムーグ。弟子たちが使っていいと言われて、師匠の音作りの秘密が見られると勇んで、ムーグを見たら、ツマミが全て、元の位置に戻されていたなんて逸話があります。冨田さんも大河ドラマの音楽を「花の生涯」(1963年・第1作)、「天と地と」(1969年・第7作・初のカラー作品)、「新・平家物語」(1972年・第10作)、「勝海舟」(1974年・第12作)、そして「徳川家康」(1983年・第21作)と5回、担当しています。 最先端の作曲家ならではですね。

最新版 NHK大河ドラマ テーマ音楽全集 1963 - 2017

最新版 NHK大河ドラマ テーマ音楽全集 1963 - 2017

 

 

チェロのデュオ、2CELLOS。2本のチェロだけで、クラシックからポップス、ロックまでを演奏する彼らは、その演奏をYouTubeで公開したことで広く知られました。日本での演奏を見たのですが、いちばん驚いたのは、演奏中に撮影ができるというスタイル。ファンの女性たちが、スマホで写真やらビデオやら、ずっと撮影していました。ちなみに、日本と韓国で発売されているスマホはシャッター音を消すことができないので、カシャカシャを結構うるさい。アメリカやヨーロッパで一般的になりつつあるコンサートスタイルを日本で初めて見ました。そこにあったのは熱狂です。

チェロヴァース ー2016ツアーエディションー(期間生産限定盤)

チェロヴァース ー2016ツアーエディションー(期間生産限定盤)

 

 

ベートーベンは第九の初演の際、既に聴力が失われていました。初演は失敗したと思い、指揮台の上で聴衆の方を向かなかったので、演奏直後の聴衆の熱狂に気付かなかったとのことです。アンコールの嵐だったとか。また、ベルリンフィルハーモニー交響楽団フルトベングラーが演奏する1942年のヒトラー生誕祭で演奏された第九。今世紀になって発見された貴重な録音ですが、第四楽章の合唱以降が、あまりの熱演でテンポがとんでもないことになっている。熱狂がなせる業でしょうか。 

ベートーヴェン:交響曲第9番 1942年 メロディア盤

ベートーヴェン:交響曲第9番 1942年 メロディア盤

 

 

極端というか、最先端はどこかで最初につながっています。映画「メッセージ」の原作「あなたの人生の物語」の著者テッド・チャンの短編「バビロンの塔」。天にも届かんばかりに高いバビロンの塔をどんどん登っていった男が辿りついたのは、砂漠の大地。
「そうか、円筒印章だ。(中略)この世界は天と地が接するように、ある玄妙なやりかたで丸く巻かれている。いちばん長い旅でさえ、人間を最初の出発点へひきもどすにすぎないからだ。」

デジタル時代になって、いろいろなつながりが新しく作られていきます。でもそこに不可欠なのは熱狂です。そして、熱狂が最先端と最初をつなぎます。


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

オルタナファクトの世界に住んでいる透明な人たち

昼下がり、ちょうど1時過ぎでしょうか。30年前から通っている中華料理店に入って、ランチのB定食を頼みました。内容は、豆腐と海老とイカの旨煮。毎度、店の前を通りかかって、これか、海老の卵とじ炒めのどちらかがメニューに上がっていると、ついつい寄ってしまいます。
 

さて、この時の大きな丸テーブル2つと4人掛けテーブル席6つの店内、ちらほらとお客さんがおりました。私は丸テーブル。程なく、定食が運ばれてきて、早速堪能。ここである光景を目撃しました。
もう一つの丸テーブルにいた男性が挙手して、「すいません」とお店の方に声をかけました。微妙なタイミングでしたが、テーブル席の1つにいた60代くらいの女性3人組の1人も、グループの人と喋りながら、ほぼ同時に挙手しました。店の方がやってきます。先に男性に気づいたようでしたので、男性に近寄ります。そこで、男性が「あ、向こうが先かな」と言いました。お、いい人じゃん、ジェントルマン、と僕は心の中で喝采。お店の方が女性に近寄り、「はい?」といいました。何かご用ですか、という声かけです。しかし、その女性、「え?ただ手を上げていただけよ」と返して、仲間とのお喋りに戻ったのです。それも謝りもせず。先ほどの男性も「なんだよ」と呟いたのが聞こえました。
僕は超びっくり。店の人にとってはサービスの一環とはいえ、女性は自分の行為が引き起こしたことなのに、何事もなかったかのように、お喋りを続けていました。

この人はどういう人なのでしょうか。「私はただ手を上げたいから、上げていただけ。店員は勝手に寄ってきたのだから、知ったことではない。」と思っているか、そもそも何も思っていないのか。でも、「私はそんなつもりはない。だから他人がどう解釈しようが、知ったことではない。誤解があっても責任はない」という態度を見てしまいます。こういう人、とっても多いように感じます。どんどん増えている。「そんなつもりじゃない」症候群にかかっている人。他者に対して無関心な人たち。

2005年7月のロンドンでの同時多発テロの際、監視カメラが犯人の特定に大きく寄与したと言われています。当時の記事を当たってみると、既にイギリス国内には428万台の街頭監視カメラがあり、ロンドンの地下鉄には6000台、市内のバスの65%にあたる5200台に車内監視カメラが設置されている状況でした。街頭のカメラは、150メートル離れた人物の表情もとらることが出来るそうです。ロンドン市内を歩く場合、1人当たり1日最高で300回映り込む計算になるというくらいのメッシュで設置されています。イギリス政府は、この監視カメラのお陰で、テロが未然に防がれているとも言っています。(もちろん万能ではありません。ご存知の通り、テロは起きます。)

日本でも犯罪が起きると、主な幹線道路に設置してあるNシステム(自動車ナンバー自動読取装置)やコンビニのカメラを筆頭に、さまざまな場所に設置されている監視カメラの映像によって、解決の糸口が見つかることが多くなっています。今後は、新幹線そして山手線のような在来線にも、カメラが設置されてようとしています。痴漢と痴漢冤罪、それぞれ、これにより減るといいですね。

監視カメラについて、プライバシーを侵害するという意見があります。しかし、これらの“監視装置”が無かったら、どうなるのでしょうか。少なくとも今より、犯罪を行った人たちが検挙されるまでにかかる時間と手間が増えるでしょう。なぜなら、他者への無関心な人が増えているからだと思います。もしかしたら、他人への無関心、つまり他者を見ていない代わりに、カメラがその役割を果たしているのかも。
先に言っておきますが、いわゆる共謀罪、改正組織犯罪処罰法の是非とは別です。法律の恣意的な援用によって、政権や権力者と言われる人たちの意向の通りになるのはまっぴら御免です。検察の特捜部なんて、往々にして今までも結構、この傾向がありましたからね。

話を戻します。街頭に監視カメラが増えることで、プライバシーが侵害されると言う人がいますが、プライバシーとは、そういうものでしょうか。誰が見ていても、見ていなくても、行ってはダメなことはダメなのでは。だから、少なくとも街頭で行うことは、誰に見られても恥ずかしくないことでしょう。インターネットも含めた最新技術による便利さのもたらす不安とでも言うのでしょうか。それを徒らに強調しても、意味がありません。また、関連して、電子メールの秘匿性についても議論があります。でも、そもそも「絶対に」という言葉は技術的にあり得ません。読もうと思えば、電子メールなんていくらでも他人に読まれる可能性があるのです。インターネットセキュリティの専門家から聞いたのですが、ハリウッドの映画関係者はGoogleGmailは絶対に使わない、とのこと。その理由は企画の秘密が漏れるからだそうです。たとえ個人が特定されていなくとも、ある地域で飛び交うメールの中に一定の言葉が多く含まれていれば、企画の方向性などが推測できるからだそうです。成り立ちから言っても、電子メールなんて、そんなものです。郵便と同じ、読まないという紳士協定が前提になっているだけです。

イタリア人の友達に「イタリアではアルカイダのテロ、無いね」と訊いたら、マフィアがいるから大丈夫だって。つまり、日常生活の中にマフィアが入り込んでいるから、彼らの知らない人たちが集まって、何か相談していて、剰えテロを企ていたりしたら、すぐにバレてしまうからだと言うのです。嘘のような本当の話。これは監視社会と言いますかね?

「我々はもっと守られるべきだ。でも監視するな。」最近の問題の至るところに、このような感覚的な矛盾を孕んだ主張がなされているように感じます。構ってもらいたいけど、自分のテリトリーには入って来て欲しくない。そして、これは「そんなつもりじゃない」症候群の裏返しでしょう。
「そんなつもりじゃない」症候群にかかっている人は、自分はさまざまなことから圏外にいる、つまり関係ないと思っているのです。しかし、それは頭の中、お花畑状態。実際の世の中の流れと異なる、それこそ自分の思いだけで出来上がっているオルタナファクトの中で生きているに過ぎないです。他者への無関心の裏返しです。他者が見る自分があることを忘れている人。輪郭のある透明な人たち。
「ただ、手を上げていただけ」と答えた女性、他者としてこの光景を見たら、どのように思うのでしょうか。また、自分が店の人だったら、どのように感じるでしょうか。
話が飛躍しているようですが、オルタナファクトという言葉に象徴される事態は、このような日常の中の潜んでいます。やっぱり、忖度ばかりじゃ、ダメなんじゃないですか。

自分に足し算、引き算ーオルタナファクトを生む慢心

1日に2回はスターバックスに立ち寄っています。日課ですね。家に近い店、事務所に近い店、得意先のビルの地下の店、いくつかの“定点”のような場所があります。アイスラテを飲まない日はほとんどありません。この稿も、いつものスターバックスで書き始めました。

元々、僕の家にはコーヒーを飲む習慣がありませんでした。昭和の普通の家でしたから。また子どもの頃、コーヒーは身体に悪い飲み物だと言われていました。そんな思い込みもあり、何かの機会に飲んでも美味しく感じませんでした。そのほとんどがインスタントコーヒーだったことも、その原因の一つだったと思います。缶コーヒーもイマイチ、嗜好に合わなかったなぁ。そうそう、缶コーヒーって、1日に7本飲むヘビーユーザー、それも男子が主なユーザーなんですってね。

大人になってから、料理に関わる仕事をしていた時、そう1990年くらいのことだと思います。有楽町にあるフランス料理店アピシウスの高橋徳男シェフとお仕事させていただいた時のことです。アピシウス、ご存じですよね。その頃も黄金期でした。店内の調度品は最高級、その中に本物のマネやモネの絵画、ロダンの彫刻がさりげなく、配置してあるお店でした。キッチンも広くて明るくてピカピカ。日本中、そしてフランスから最高の食材が運ばれてきていました。ちょうどジビエの季節でした。今まで本でしか読んだことの無かったジビエが目の前に。さらに、素晴らしいワインリスト。

メニューの設計図

メニューの設計図

 

 
お客としては、ほんの2、3度しか伺ったことはありませんが、満腹中枢を乗り越えそうなくらいに食べたくなるメニューが並んでいました。さらにご記憶のある方も多いと思いますが、デザートに加えての果物の数々。未知のものばかりありました。名前を覚えていないのですが、南洋の果物。緑の皮の下は白いクリーム状の果肉。こいつがあったのです。スプーンで掬って食べるのですが、自分がアレルギー持ちであることを忘れて口にいれた瞬間、口の中全体に針が刺さったような刺激で飛び上がったことを覚えています。変な思い出ですが。やっぱり南洋のものは要注意。

そう、そのアピシウスのコーヒーが、僕の美味しいコーヒー初体験でした。打ち合わせに伺ったある昼下がり。コーヒーが出ました。美味しい!これがコーヒーの味なのか、初めて知りました。温度も適正だったことを覚えています。
フランス人は猫舌だと言われていますが、本当なんでしょうか。確か、日本から進出したタコ焼き屋さんが、苦戦した理由がこれだそうです。フランス人は、タコ焼きが熱くて食べられない(「情熱大陸」で拝見した記憶です)。そう口に入るものは、温度も問題です。毎度の脱線話ですが、惚けた老人の食生活を調べると、冷たい甘いものを好む男性が多かったという話を訊いたことがあります。これ、僕のこと。

果たして、どんなコーヒーが美味しいのか。サードウェーブと呼ばれる、いわゆる、意識高い系のコーヒーがよくわかりません。美味しくないのです。深炒りされて出た酸味がイマイチ。それに温度も高い。さまざまな研究の結果、それがコーヒー豆の本来の味を引き出すことになると言うのですが。これって、妙な例えなのですが、出汁の使い方に近いような気がします。なんでもかんでも一番出汁を使えばいいというわけでもないのです。その理由は美味し過ぎるから。和食のコースで言えば、椀だけでいいのです。一番出汁を使うのは。もし、深炒りのコーヒーが一番出汁なら、それ一杯飲むだけの時はいいのではないでしょうか。(僕はそもそも美味しいとは思っていませんが)その材料の一番濃い持ち味を出すことだけが、素材を生かすことではないと思うのです。過ぎたるは猶及ばざるが如し、ですかね。さらに考えれば、食事の流れの中、1日の生活の流れの中で、コーヒーという飲み物の在り方をどこに置くか、でしょうか。

 

ちょっと前ですが、面白い言葉に出会いました。NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げられていたフランス料理のシェフ、浜田統之さんの言葉です。浜田さんは、新しいコンセプトで知られる旅館、星野グループの高級旅館、東京駅そばに出来た「星のや東京」の料理長です。フランス料理の技量を比べる、ポール・ボキューズコンクールで日本が第三位になった時のメンバーです。彼が番組の中で、いろいろな試行錯誤を行いながら、「フランス料理は足し算」だと言っていました。面白い。一方、思い出すのは、僕が若いころ、よくお邪魔していた三田のコート・ドールの斉須政雄シェフは「引き算」だとおっしゃっていたことです。僕的には、浜田さんが取り組んでいた素材がカスベ(エイ)で、斉須さんにお話を訊いた際の料理もカスベを素材にしたものだったので、さらに面白く感じました。これは、どちらが正しいかということではなく、それぞれのアプローチだと思うのですが、ちょっと面白い対比です。

調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

調理場という戦場―「コート・ドール」斉須政雄の仕事論 (幻冬舎文庫)

 
少数精鋭の組織論 (幻冬舎新書)

少数精鋭の組織論 (幻冬舎新書)

 

 

足すのか、引くのか。意識高い系のコーヒーが美味しいか、美味しくないかは、個人の味覚の問題なので、絶対的なものではないし、そもそも味覚は個人的なもので、かなり思い込みの産物であることが多く、客観的ではないことは自明です。でも、 どうしても自分の味覚が絶対的であることを主張したい人々がいます。例えば、関東は味が濃く、関西は味が薄味、というヤツですね。この手の人は、これが昂じると、関西人は味がよく分かる、に転じます。やれやれ。(関西のお住まいの方、全般を指しているわけではありません。あしからず。)また、釣ったばかりの魚が一番美味しいと主張される方と話すのも苦手です。釣り上げたばかりの魚は、水温と魚の体温が微妙なので、まず美味しくない。でも、それが気にならない方がいるのです。そう、自分の感覚を絶対的なものだとして、それを根拠に何かを語られると対処に困ります。でも昨今、こんな人がとても多い。困りましたね。そういう人に限って必ず言う言葉「私がそう思ったのだから、間違いない」。

これがオルタナファクトそのもの。料理の於ける足し算、引き算の喩えは、言い得て妙な表現です。これでいいと感じた時に一つ足す、または一つ引く。これが客観的な視点を作るのはないでしょうか。どんな時でもできるかな。

オヤジとオヤジ殺しが向かう先ー忖度に下衆の勘繰り

最近、「三大動画アプリのユーザー/使われ方の違い」という記事を読みました。「ニコニコ動画」「AbemaTV」「YouTube」を三大動画としているのですが、そもそも、その括り、意味があるのでしょうか。(その記事の内容には格別の感想はありません。あしからず)

 

この違和感、どこから来るのか。それは、それぞれの向き先と将来像が異なるものなのではないかと思うからです。つまり、事業の方向性が違う。「YouTube」はついにアメリカでテレビの同時配信を手中に収めようとしています。あらゆるコンテンツの窓口にならんという意志ははっきりしています。でも「ニコニコ動画」「AbemaTV」はどうでしょう。そう、極端なことを言えば、「ニコニコ動画」も「AbemaTV」も最終的に「YouTube」の1チャンネルでしか成り得ないような気がします。失礼ながら、所詮、趣味のチャンネル。PCやスマホで見るもの。昔、ソニー出井伸之さんが、画面の大きさとコンテンツにかける費用は比例すると言っていました。その通りでしょう。(平井体制のソニーが黒字になった途端、出井さんがソニーをダメにした=OBたちからの出井戦犯論のが消えましたね)そう、だから、なんだかんだ言っても映画は滅びない。

 
ネットワーク観というか、コンテンツ観というか、映像コンテンツのインターネット配信に関する大局観がない事業者は、所詮、土管の出口。現行のテレビの縛りに囚われないことだけが利点のバラエティが売り物なら、そこで終わり。
電波だけではなく、今やブラウザーの能力も上がってインターネットコンテンツも楽に見ることができるテレビ。画質や音質もいい、使い易いテレビという道具を捨てさせることができるのでしょうか。どこまで考えているのだろう。

まあ、テレビ事業者も放送の同時配信を巡ってスッタモンダしていますから、同じレベルです。NHKは、本来業務だと言ったり、附帯業務だと言ったり、ふらふらしていますね。(ところでNHKは誰を忖度しているのでしょうか。国民?)一方、民放にとっては費用がかからないことが大きなテーマです。インターネットで配信したからって、視聴者がそれほど増えるもんでもありませんからね。これは共通理解でしょう。

漠然とですが、上に立つ人たちのアタマの中に、インターネットを介した映像コンテンツ配信に関して、これからの姿がはっきりと出来上がっていないのではと感じます。


だいたい、インターネットへの理解というか、体感に関して、ちょうど60歳手前くらいのところに、見えない線があるように思います。彼らは体感できていない。でもトップにいて、なんらかの方向性を出さなければならない。
NewsPicksで読んだホリエモン高城剛さんの対談の中で、「バブル崩壊以降、日本は完全にピラミッド構造になって、忖度システムになりました。それをガバナンスと言い換えています。だからトップの力量で未来が予測できるんですよ。」と高城さんが言っていました。その通り。

硬直化した組織のトップにいる、忖度されることが好きなオヤジさんたち。
でもこのオヤジさんたちは迫り来るインターネットに対して、なんらかの方針を出さないといけません。そうなるとオヤジ殺しが得意な人が、そのオヤジさんたちの喜びそうなこと(=理解できそうなこと)を忖度して、提案してきます。
ドワンゴ川上さんのオヤジ殺し力は凄まじいものがあります。ゴルゴ13並かと(どちらにも、お会いしたことはありませんよ)。あのNHKでも、一時、どの幹部たちの机にも、川上さんの著書「鈴木さんにも分かるネットの未来」(岩波新書)が置いてあったという噂があります。また、渋谷で働く社長、藤田さんも、オヤジ殺し力が凄そうです。テレビ朝日の会長さんを動かして、AbemaTVを始められましたね。

 

このオヤジさんたちの隆盛がどこまで続くのか。またオヤジ殺しを行っていた人たちが、その地位に到達した時、また次の世代にどのように接するのか、それによって、この国の未来が変わってしまうように思います。
そうそう、IIJの社長さんがいつの間にか、超強力で有名な元財務事務次官の方になっていたり、力があるとされるオヤジさんたちが、日本では国を変えるような新しい分野の会社でも力を奮っています。いろいろなところから、オカネを持ってきてくれるからでしょうか。
JR東海リニア新幹線に作るのに、3兆円以上かかるらしいですね。足りない分は国費で補われるとのこと。これはどうみたって、JR東海の会長さんのお力でしょう。でも想像力豊かな僕は、リニア技術が航空母艦の電磁カタパルトに転用できるからなのではと下衆の勘繰りを働かせてしまうのです。
アメリカの空母の攻撃力の高さを象徴する技術の一つが、カタパルトです。
短い時間にたくさんの航空機を発艦させることが出来ることは、攻撃力の高さにつながります。現在、カタパルトの技術は、アメリカにしかありません。原子力エンジンの熱から生まれる蒸気を使ったものです。
そして次世代のカタパルトは、電磁力を使ったものです。次期主力空母(ジェラルド・フォード級)は蒸気カタパルトではなく、電磁カタパルトを採用しています。イギリスと一緒に開発しており、それを中国のスパイが盗んだとかいう話もありましたね。リニア新幹線の技術との共通点はどうなんでしょうか。
中国の上海では、市内から郊外の浦東空港との間、およそ30キロをリニア高速鉄道上海トランスラピッドで結んでいます。時速431キロで7分30秒の旅です。これはマグレブリニアモーターカーです。その技術を空母に転用はできなかったのでしょうか。調べると上海の方式と日本の方式では、機械とおもちゃの違いほど、レベルが違うとのことです。だから、新しい中国空母にも旧来のスキージャンプ台方式を採用せざるを得なかったのですな。ちなみに僕の好きな漫画家、細野不二彦さんの商社サラリーマンを主人公にしたシリーズ「商人道」に蒸気カタパルト技術の話が出てきます。中国がらみのエピソード。

商人道(あきんロード) 3 (ビッグコミックス)

商人道(あきんロード) 3 (ビッグコミックス)

 

 

JR東海の会長さんは右の論客として知られています。リニア実現に強い意志をお持ち。それはまさか、その技術が空母転用可能技術だということ?だから、国費を入れることが叶った?なんてのは考え過ぎでしょうか。国益?まあ、まさかレールガン開発のため、とまでとは言いませんが。 

オヤジとオヤジ殺しが蔓延るのは、なかなかの状態です。だから忖度がますます流行る。今日は下衆の勘繰りでした。

飛躍への挑戦 東海道新幹線から超電導リニアへ

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